Soula(魂人)の地球日記

人は地球で生まれ、人生を生きる中での豊かさを得ていきます。その豊かさに氣づく鍵が、内側から感じるものであることを思い出すこと。本来持っている自分自身の豊かさに氣づくこと。

ふっと浮かぶ言葉

時々、明け方の時間帯や目覚め時に
ふっと浮かぶ言葉があります。

 

それをこちらで
書いてみようと思い立って
書くことにしてみました。

 

今朝浮かんだ言葉・・・

 

『良い(善い)・悪い』

ではなく

それを

『求めているか・求めていないか』

『望んでいるか・望んでいないか』

 

 

 

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時間をかけて・・・

いつもの日常生活を送っている中で

ある日ふとあなたの中に

当たり前にしてきたこととは

違う何かが浮かんできます。

 

 

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それは

当たり前にしてきたことが

あなたにとって合わないものに

感じるものかもしれません。

 

 

今までそれがいいものだと

あなたに合うものだと

思っていたのに

徐々に違和感を感じていた

あなた自身に氣づく。。。

 

 

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頭では

こんなはずではない

今まで当たり前にできてきた

いい感じであった

 

そう思うでしょう。

 

混乱し葛藤を起こす人

それは勘違いであると思い込もうとする人

そう感じるそのものを感じないようにする人

 

どうごまかそうとしても

そこにあるそれは

あなたの内から湧き出たものです。

 

 

だれかにそれが正しいかどうか

確認する人もいるでしょう。

 

確認したとしても

そこに対するハッキリとした応えを

伝えられる人はいないでしょう。

 

なぜなら

あなたの内側に感じるものは

あなた自身が一番知っているからです。

 

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そこに氣づくように

周りの人はサポートはできても

応えはあなたしか知らないので

しっくりくるものはないのです。

 

 

一瞬

しっくりくるものが

あったとしても

そこからまた

あなたの内側から湧き出し始め

どうしでだろう?

が始まります。

 

 

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腑に落とすことは

あなたしかできないのです。

 

なぜなら

あなたしかわからないことだからです。

 

あなたがいくら

素晴らしいと感じる人から

言葉をもらっても

 

素晴らしいと思うツールを

つかったとしても

 

素晴らしいセッションを

受けたとしても

 

あなた自身がそこを受け入れ

応えることの行動をしなければ

腑に落とすことにはつながりません。

 

 

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内側に湧き出ているものが

本当にそうであるか

確かめたいということは

だれもが思うことです。

 

確かめる行動を起こしてみたら

それがあなたにとって

本当にそうであるかどうかが

わかる流れに乗るでしょう。

 

 

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ただ・・・

一瞬でわかるものは

ほとんどありません。

 

時間をかけて

人とのコミュニケーションを

いくつも重ねていく中で

ああ、これだったんだと

わかることのほうが多い。

 

そしてそれは・・・

貴方の可能性を引き出すことに

繋がっていくのです。

 

 

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よりよく個々を生きる。

ふっと浮かんだこと。

 

神様は

「あなたのここが足りない。」

「あなたのここがいけない。」

 

等々のことで

罰を与えたりすることは

ないということ。

 

私たちがどうしたら

無意識の部分を含め

願っていることが叶うかに

意識を向けてくれてはいるけれど

罪・罰に対しての意識は

持ち合わせていないということ。

 

願っていることが

人から与えられた情報のものであれば
本来あなたが望んでいるものではないから

それは違うと氣づく流れを

与えてくれることはある。

 

人として生きる上で
学ぶところがあれば

学ぶことへと氣づく流れを

与えてくれることは在る。

 

それを

罪や罰という視点でみれば

そうなるということなんだと思う。

 

私たちがよりよく個々生きる。

 

そのための働きかけは

望んでいるような形で

与えられるとは限らないし

望んでいるような形では

かえって違う流れにのるとなれば

それは与えられないのだと思う。

 

そこに氣づいた時に

今までの思い込みや価値観から

自らを解放する流れにのり

次の段階へと進んでいくのだと思う。

 

写真は先日の自然ツアーで撮ったもの。

次の段階へ進む友人へ

光からのメッセージが

届けられているところが写りました。

 

 

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新しい段階に

昨日は久しぶりに

大天使オラクルカードを引きたくなり

引いてみたカードは

 

『スピリチュアルな理解-大天使ラジエル

 

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メッセージとしては

「人生に対して新しく広い視野をもてるようになったので

 あなたの精神的な理解は次のレベルへと移りました。

 心を開いて、制約ある考えや妄想を手放してください。」

 

というものでした。

 

大天使ラジエル

一般的な理論を越えた考えを理解できるように

手伝ってくれる存在だそう。

 

最近、考え方が変化していることを

感じていたこと

思いもよらない出来事に遭遇したこと

それに対して普段しない行動をしたことから

 

もろもろに新しい段階に入っていると

思っていたけれど・・・

このカードで後押しされたよう。

 

そして今朝引いたマハボテカードが

 

『 Journey ― 旅

 このカードを引いたときは、新しい段階が始まったことを意味します。
 今までの経験が、あなたを新しい冒険の旅に導いていきます。
 あなたは進歩しました。これからの自分自身の飛躍を大いに楽しんでください。
 変化していく思いや感情を旅日記のように書き留めておくと、

 後々大きな助けになるでしょう。』

 

最近、音霊も描く絵も

変わってきていると自覚できるほどに

変化してきていたのは

ここに向かっていっていたからだなとも。

 

変わろうと躍起になっていた時期は

変わらない変われない私を

すっごく責めていたこともあって

変わってきていると自覚することもなく

焦っていたことも思い出しつつ。

 

日々の生活の中にあふれているもの。

それらは当たり前だという視点で

捉えていたら氣づかないものがたくさん。

 

変わろうと躍起になっていた時期は

氣づかないものだらけだった。

 

あの時期があるから今が在る。

そんなことも思うのです。

 

そんな今日拝読できてよかったなと思う

ブログがコチラ☆

 

ameblo.jp

 

 

ameblo.jp

 

 

 

お腹の人から繋がるご縁

 

8月のお盆明け~

お腹の人繋がりでご縁をいただいた人に

急遽~伊野さんツアーをする流れに。

 

真夏になり

暑さが半端ないと思って

自然ツアーはお休みにと

思っていた矢先に

しかも義父の初盆から帰ってから

翌日にこの流れ?

 

と思いつつも

お腹の人が動いていることと

根拠なくの必要性を感じたので

ご案内することに。

 

階段を上がる前から

氣の流れの違いを感じる風が吹いて。

 

滝の水の流れ等を感じる誘導から始まり

流れにそって必要な場を感じてもらいます。

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もともとご自身の内側を

感じるセッションを受けている人だったので

誘導からすんなりと感じられて

後はご自身の感じるままに、任せて。

 

 

 

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その日は

古神道をされている人とのご縁も。

 

そのご縁から

『警蹕』という言葉を

教えていただきました。

 

音霊の中には

神様をおよびする際に

出す音があるとのこと。

 

出るままに出している音が

そのようなことにも

繋がっているとは

何となく感じていたのですが

初めての方から教えてもらうことに

もう、いい加減認めなさいと

論されているような感じがしました。

 

人のことはわかっても

自分のことはなかなかわからないものです。

 

自分の立ち位置の確認もかねて

この人と感じる人に

セッションを受けることも

大事だと思っています。

 

話がそれちゃいました。

 

古神道の方が祝詞を上げられた時

その場の氣がはっきりと変わったことを

感じた時に声をかけたくなり

お話をする流れとなり

『警蹕』という言葉を教えていただき

 

その後、異空間言語と音霊

受け取ってもらう流れとなり・・・

場の空気が調整されたところで

その場を感じて音霊を出す流れに

 ありがたさを感じつつ

感じるままに音霊を出してきました。

 

その時、お腹の人同士が

打ち合わせをして策を練り

この流れとなってるなと

何となく思っていました。

 

そうそうその日は

イケメンのカナヘビさんや

ちょっと恥ずかしがりな蝶さんとも

出逢えました(*^^*)

 

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お昼を過ぎてランチをしようということとなり

お店に着いた途端に雨が。

 

 

 

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いろいろと思ったところをシェアしあったり

私の自然ツアーに関してのアドバイス

もろもろを上手に引き出してくれた敬依子さんが

その日のことをブログに書いてくださいました。

 

敬依子さんが話の中で

「その人の存在そのものを祝福したい。」

という感じのことをいわれていたことが

とても印象に残っています。

 

 

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言葉にしなくてもわかる?

友人でもあり
布ナプキン『うふふわ』の

代表でもある~

とよきちゃんの今日の記事を拝読して

思い出してFBで書いた記事が

反響があったのでこちらにも(*^^*)

 

・・・

 

私はだんなさんから
名前を呼ばれたことがない。

 

付き合っている時も
結婚をしてからも
絶対名前を呼んでくれないだんなさんに

 

「なんで?」

 

と何度かきいてみたことがあったけれど
その理由をはっきりと伝えられず
名前を呼んでくれないだんなさんに
寂しさと悲しさを感じていた。

 

長女が一歳を過ぎたあたりだったかな?

 

初めての子どもが
私のことをどう呼んでくれるのか♪と
すごく楽しみにしていて

「あーちゃん」かな?
「かーたん」かな?

なんてイメージしてワクワクしていた。

 

ある日
2階で昼寝をしていた長女が

 

「おーい!
 おーい!」

 

と1階にいる私に呼びかけてきた。

 

あ!起きたんだ!

と2階に急いでいった時
両手を広げながら長女は


「おーい♪」

と笑顔で言ってきた。。。

 

その瞬間、だんなさんに腹を立てた。

 

私の名前を呼ばないかわりに
だんなさんは私を呼ぶとき

 

「おい」
「ねえ」

 

という言葉を使っていた。

 

それが頭をよぎり
長女は私を「お母さん」という言葉で
認識をする代わりに
「おい」という言葉で認識をしたのだと。

 

夢はやぶれ・・・
私の名前を呼ばないだんなに対しての
寂しさと悲しさから
怨みつらみに変わった瞬間となったような。

 

そこからだんなさんに
ことの経緯を話して
夢がかなわなかったこと等も
伝えたのだけれど
笑って済まされた。

 

たかだか名前を呼ばないくらいで・・・

 

そう思ってるな!
と怒りは倍増。

 

そこからだんなさんに対して
ふつふつと怒りを溜め込んでいくこにも
繋がっていったなあ。

 

名前を呼んでくれるようにと
その後もチャレンジしてみたけれど
絶対に応えてくれず
怒りは募っていった。

 

大きくなった長女に
何かのきっかけで
「おーい」の話と
だんんさんから名前を呼ばれたことが
一回もないということを話した時だったか?

 

長女がだんなさんに
なんでなのかと何度か聞いた時に

 

「そんなこと、恥ずかしくて呼べるか!」

 

の一言が!

 

その言葉とだんなさんの顔を見た瞬間
今までの怨みつらみが笑いに変わった。

 

そこ辺りからかな?

 

だんなさんが恥ずかしいと思うのであれば
私から言ってやろう♪と思って

 

「大好き」
「愛してる」

と共に嫌がらせのように
だんなさんの名前を何かの時には
呼ぶようになったのは。

 

スキンシップもしよう!と
ハグ攻撃もし続けた。

 

初めは疎ましいからするな!という感じの
態度をとられ続けていたけれど
それでもやり続けた。

 

こんなに大好きなのに
こんなに愛してるのに
こんなに頼っているのに
こんなに心の支えになっているのに

 

そう思っていたことを形とする

行動に移してみることを
やり続けた結果・・・

 

先日の「逃げるは恥だか役に立つ」を見ながら
そのことも思い出していた。

 

今でも名前を呼ばれることはないけれど
そこに対して腹を立てることはない。

 

子どもとの会話では

「お母さんに聞きなさい。」や
「お母さんはどうなの?」
等のお母さんという言葉は使われるが

 

私に向かって

「お母さん」と言葉をいうこともない。

「おい」はなくなったが
「ねえ」とか「あなた」とかいう言葉を
使ってこられる。

 

それが何を表しているか・・・
理由をしったから腹を立てることもない。

 

言葉として伝えられることが
大事なこともある。

 

恥ずかしいからそっちで察知してくれと
当人がそう思っていることもわからず
言葉で伝えられてもいないものを
察知するのは難儀です。

 

ちなみにとよきちゃんの記事はこちら☆

nunonapukin-seiri.com

 

 

 

何ものにも代え難いもの

一ヶ月くらいかな?
ブログを放置してました(笑)

8月は、大好きだった義父の初盆に
意識をフォーカスしていたこともあり
ブログは書かないままになってました。

昨年の中頃に

肝臓がん末期とわかり

昨年末の仕事納めが終わってから

寝込むこととなりあっという間に

この世を旅立っていきました。

 

特攻隊に入隊となり

知覧にいたこともある義父は

そのことをだんなさんを始め

家族に話すこともなかったそうです。

 

孫は、我が家の5人しか

いないこともあってか

とてもかわいがってくれ

誕生日にはお祝いを必ず

贈ってくれていました。

 

大分の季節の果物も

こまめに送ってくれて

我が家からの電話も

心待ちにしてくれる様子が

いつも感じ取られていました。

 

そんな義父だったので

肝臓がん末期とわかった時

子どもたちは強いショックを受けても

自分たちができることをと

考え動いてくれたなあと

今振り返ると思います。

 

私の父も大分出身なのですが

今回、大分の里の初盆では

『盛り籠』というものが

送られると知りました。

 

ずらっと並んだ『盛り籠』に

とても華やかさを感じながら

葬式や49日・お盆等は

見送る側の氣持ちの整理にも

繋がっているなあと思いました。

 

今回、長男の嫁という立場を

意識して動くことをしてみて

(といっても、世間一般でいわれる

 できた嫁とは程遠いですw)

「いてくれて助かった。」

「氣配りができている。」

等の言葉を親戚から伝えられ

お盆の最中には

義母から伝えられることがあり

ありがたさをしみじみと感じていました。

 

それは

私が私自身を認め

受け入れてきたことが

それらのありがたい言葉を

素直に受け取ることになったとも。

 

自分のことを無意識に

卑下していることに

氣づくための流れに

ずっと乗ってきていたなあと

振り返ると思うのです。

 

自分自身を

無意識に卑下していると

いくら周りが自分を認めてくれていても

卑下される自分が当たり前で

そうでない自分は違うと

無意識で判断して

受け取っているようで

実は受け取っていない

ということをしているのです。

 

できない

足りない

 

そんな自分が当たり前だと

自分に24時間どころか

生きている間言い聞かせて

 

できない

足りない

自分を責め続ける。

 

他人だったら

離れることもできますが

自分自身だから

ずっとそれをしていることになります。

 

そこに氣づいてから

切り替えをし始めたのが

10年ほど前だったでしょうか。

 

長年つけてきた癖。

 

それを一氣になくすことを

望んでツールを探したり

してきましたが・・・

一氣にはなくなることはなく。

 

それどころか

できない

足りない

と責めている自分を責めることに

繋がっていたり。

 

できない

足りない

にフォーカスすることになって

 

できない

足りない

私を実感する出来事が

引き寄せられ続けたり。

 

いろいろと体験しました。

 

その体験していく過程が

私にとっては

とてもありがたいギフトだったと

今は至っています。

 

時間をかけて

得ていくもののありがたさは

何ものにも代え難い。

 

義父母との関係性も
親戚の人との関係性も
もろもろに・・・

時間をかけて

培われてきたものであり

私自身の人間性
時間をかけて
培われてきたものであり・・・

 

一氣に手に入れようとしても

手に入れることができないもの。

 

 

人として生まれて

得たかったのものの一つに

ここがあるなあと

しみじみ思うのです。

 

 

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