Soula(魂人)の地球日記

人は地球で生まれ、人生を生きる中での豊かさを得ていきます。その豊かさに氣づく鍵が、内側から感じるものであることを思い出すこと。本来持っている自分自身の豊かさに氣づくこと。

嫌な性質と思っているところの見方を変えてみたら

 

 

 

私は人の粗探しをしている!

 

そう思っていた時期がありました。

 

これは???

 

人にそう感じると同時に

違和感でいっぱいになる。

 

感じることが弱くて

心にひっかかった状態となって
時間がたってから

 

あれ!?

 

となり悶々とすることも。

 

嫌な人間だなあ私・・・

 

いつの頃からか
自分にそういい続けるようになり

 

粗探しをしないように
氣づかないように
氣づいても氣にしないようにと

 

努力をし続けた結果・・・

 

人の粗がもっと見えていきました。

 

そして

 

私ってなんて嫌な奴なんだ!


良い人になりたいのに
なぜ、なれないんだ!?

 

なんてやっていた記憶があります。

 

そんなことをやりながら
ある時に氣づいたんです。

 

粗探しは止められない。

 

無意識にやっているから
無理に止めようとすると
自己否定や自己卑下に繋がっていくと。

 

もし、それを活かせるとしたら?

 

そう思った時に

 

私自身が人の粗探しをしている!と
思い込んでいたことに
氣づいたんです。

 

人の粗に氣づく・・・

 

それは

 

その人の可能性が観えるということ。

 

もっとこうしたらいいのに
もっとこうしたら楽になるのに

 

そう思っていたことにも氣づきました。

 

もっとこうしたら・・・

 

そこにフォーカスしたら
今度は相手をそうさせようとする
動きをすることとなり

相手を自分の思い通りにコントロールしようと
していることに氣づいて

 

また

 

私って嫌な奴!に。

 

そうこうしていたら
相手の状態を観ながら
タイミングを計ることを覚え
見守るということを覚えていきました。

 

それとともに

 

いくら、こうしたほうがいいと感じていても
本人が腑に落とす形にならない限り
一瞬は、こうなった!となっても
また元の状態に戻るか
さらに本人にとってはきつい状態になると

氣づいていくことに。

 

体験し学び腑に落としていく。

 

伝える・教える

 

そのことは必要ではあるけれど
必要以上にすると
本人が腑に落とすことから遠ざけてしまう。

 

人として生まれた魂の
せっかくの体験を奪っていくことになる。

 

自ら乗り越える体験を奪っていく。

 

自ら乗り越えていくことで
魂の体験だけではなく
その人の人間力も培われ
生きるという力がついていく。

 

これは

 

私が生きてきた中で
わかってきたことです。

 

両親との関わり
看護師としての経験
(病院・デイサービス)
5人の母としての経験
(病氣・思春期・不登校等々)
小中学校での委員活動での経験
ジュニア・バレーの保護者役員としての経験
スピリチュアル活動からの経験
その他・・・

 

諸々を通してわかってきたこと。

 

目の前の人は

力がなく弱い存在

 

だから

 

私が守ってあげないと
私が支えてあげないと
私が教えてあげないと

 

その視点で観るのか

 

目の前の人は
可能性に満ちている

 

そんな視点で観るのかで

 

同じ行動を起こしたとしても
結果は違ってくることも
たくさん経験をしてきました。

 

嫌でたまらなかった私のことを認め
そこから活かせるものは何かと
視点を変えてみたら

 

その後が随分と変わっていきました。

 

 

 

 

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水に感謝を

20年ほど前のこと。

当時の私は

 

月刊誌『HADO』というものを

頼んでいました。

 

今は亡き 江本勝さんが発行されていたもの。

 

水の結晶という本も出され

「ありがとう」という言葉の

水の結晶の写真をみて

美しいなあと思い

水に感謝の言葉を伝えたいと

始めたことは・・・

 

お風呂に入った時に

江本さんが提唱していた言葉を

お風呂のお湯に伝えること。

 

湯船のお湯とはいえ

水で在る事には変わりなく

使い終わった後に下水を流れて

最終的には海に届くのであれば

この言葉のエネルギーも

一緒に届けてくれるはずだと思い

今でもやっています。

 

『 お水さん、ありがとうございます。

  お水さん、感謝しています。

  お水さん、尊敬しています。

  お水さん、愛しています。 』

 

提唱されていた順番は忘れましたが

この言葉を湯船で口に出しています。

 

疲れ等から忘れる時も

ずっと続けられたのは

できる範囲でとやってきたから。

 

無理をせず

できるところから始めると

続けることができることを

そこから実感しています。

 

地球のために

自分のために

まずはできるところから

始めてみませんか。

 

 

 

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本来の自分に

久々のブログですね(*^^*)

FBでは、毎日のように呟いているのですが

ブログとなると書く氣にならず

そのままにしていました。

 

今日は書き留めたいと思うものがあったので

こちらに書く事に。

 

今日の夕方

魂朋である滋賀の友人と

電話で近況を話している中で

魂朋である友人が

 

「『ほんぷく』の時期だね。」

 

と口に出したので

 

『ほんぷく』という言葉を検索してみたら

まさに、それだなあと納得。

 

コトバンクやgoo辞書では

 病気が全快すること。「治療のかいあって本復する」
 配流の地から自国に戻ること。また、前の地位財産を回すること。

 

とありました。

 

本来の自分に戻る時期。

 

生きていく中で

使ってはいけないものとして

判断(封印)していた本質のものを

思い出して使うことを認める時期。

 

魂の目的を思い出し生きるという意味も含め

そのような人を私は

『Soula』と表現することにしました。

 

『Soul』というところから『魂人』ということで『Soula』

 

なかなかあだ名がつかなかった私が

中学生時代につけてもらい

それが定着していったあだ名が『そうら』でした。

 

10年以上前に流行っていたMixiを始める時に

HNを何にするかを悩み

そういえば・・・と使ったものが『そうら』

 

ただ・・・

ひらがなでは格好がつかないなあと

『sora』としたのですが

月日が流れていく中でしっくりとこなくなり

『soula』にたどり着き

自分を認めていこうと決めてから

『Soula』とSを大文字に変えることに。

 

そこからのご縁は

今までにないものに繋がることとなり

なんだろうと思っていたら・・・

 

私自身が魂のことを思い出し

それを基盤として生きることを選んできていたと

自覚した時に

 

『Soula』とは私のことではなく

『魂を思い出し、それを基盤と認めて生きることをする人』=『魂人』

 

ということで

そういう生き方をする人を『魂人』=『Soula』だと

腑に落とす流れに。

 

『Soula』である人は

一般の人から理解され難いか

人との中で違和感を感じる等で

孤独を感じやすかったりするともわかり。

 

なぜそうであるかもわかり。

 

その人生を選んで生まれてくることで

体験をしていき得たいものがあったから

と腑に落とすことにもなりました。

 

なぜ?

どうして?

 

の人生から

自分の本質

本来持っている力(可能性)

それらを思い出し(還元)

生きる時期になったということで

先に書いた魂朋の言葉

 

『本復』

 

という言葉に繋がるのだと感じました。

 

魂朋は生まれてくる前の記憶を持っている『お腹の人』の絡みで

『本腹』と浮かんで言ったそうです。

 

『本来の自分に還って生きる』

 

その時期に確実に入っていると

実感できる出来事が

たくさん起こっています。

 

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4月18日 今日のKOTOBA

久々の今日のKOTOBAは・・・

 

物事は何事も基礎から。

 

基礎を知らない者に
物事の流れを説明し

行動を起こすように伝えても

 

その者はその行動を

理解できないまま行動を起こし

説明をした者にとっては

不可解な行動に映るだろう。

 

・・・

 

これは常識であるから

知っているはず。

わかるはず。

 

この資格を持っているから

知っているはず。

わかるはず。

できるはず。

 

そう思っていても

本人が基礎となるものを

知らなければ

知恵を伴った行動には

至らないのです。

 

物事はまずは基礎から。

 

根気よくやっていきましょう。

 

 

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父が亡くなりました。

父は以前から

心臓の弁が収縮していて

後3ミリ小さくなったら

手術が必要といわれていました。

 

季節の変わり目と

夏になると

息切れがするようになり

家で過ごす時間が

多くなっていきました。

 

「今年の誕生日で80歳になるね。」

と話をしていたのですが

今年の始めから体調が今一つとなり

一年に一回の心臓での受診を

のばしのばしにしていたこともあり

母と2人で受診をと話していた矢先に

熱を出して掛かり付けのクリニックに行くと

肺炎と診断され急遽入院に。

 

突然の入院に

高齢者である父は理解ができず

肺炎で入院になったことを伝えて

その時は

 

「そうか。」

 

と受け取るのですが

時間が経つと

 

「家に帰る。」

 

の繰り返し。

 

その度に根気よく

平静に状況を伝え

私や母が帰宅する時は

明日も来るからとハッキリと伝え

数日経つと

 

「家に帰る。」

 

とは言わなくなりました。

病室から家に帰ること

翌日もちゃんと来るということを

伝えるだけでも

本人は安心することを

デイサービス勤務をしていた中で

実感していたので

母からは、そこまでしなくても

といわれたのですが実行し続けました。

 

父は特にそういうことを

してほしい性質だったので。

 

高齢者の肺炎は
症状が出にくく

本人も自覚症状がないため

家族が氣づきにくいとは

看護師時代に知っていたのですが

これほどまでにわからないものなのか!?

と驚きました。

 

咳も痰もなく

ただいつもよりも元氣がないような?

季節の変わり目だからかな? 

 

という状態。

 

入院してから

初めのうちは会話ができていた父が

徐々に言葉がでなくなり

うん・ううんと言うようになり

会話ができなくなっていき

コミュニケーションを

とりづらい状態になっていきました。 

 

その中で

できるだけ父の意思を汲み取ろうと

動いた結果・・・

 

看護師として働いたこと

デイサービスで80~90歳代の

高齢者の人と関わらせていただいたこと

様々な認知症の方々と関わらせていただいたこと

 

そこからの体験が

すごく役にたっていることを

実感できることとなりました。

 

一ヵ月半ほど経って

父は眠るように息を引き取りました。

 

ほぼ毎日、病院に通い

声をかけながら

父の身体をさすったり

目やにをふき取ったり

口腔ケアをしたり。

 

子ども達の大学受験や卒業・入学等の

節目の時には子どもとともに報告にいったり。

 

何年も交流をすることがなかった

兄と互いに協力して

父がまだ認識・意識がある時に

家族で笑顔の写真を撮ったり。

 

できることはする。

後悔のないようにする。

 

そう決めて過ごした日々でもありました。

 

そして

 

父が言葉にならない豊かさを

私たちにもたらしてくれていることを

実感しつづける日々でもありました。

 

ほとんど傾眠傾向だった父に

心の中で問いかけたことに

父が「うん。」と返事をする

ということもありました。

 

目を開けることも

なかなかなかった時に

「お父さんのお腹の人は

 何を思っているのかな?」

と口に出してみると

 

大きく目を見開いて

私の顔を見る一こまもありました。

 

「ほしいものは水。

 水がほしい。

 ただそれだけです。」

 

意識がある時に

そう言って

水をほしがった父。

 

誤嚥をしやすくなっていたので

気管に入ってはいけないからと

水を含め飲む行為を止められたため

 

スプレーに水を入れて

父の口に吹きかけ

口を湿らせることを

すると

 

ひな鳥が餌を欲するように

口を大きく開けて

水を吹きかけることを

要求してきた父。

 

肺炎は改善されてきたけれど

治療に対して肝臓や腎臓が

ついていけなかったのでしょう。

 

肝臓や腎臓の値が悪くなり

全身がうっすらと浮腫み始め

尿量も減ってきて

本当に覚悟をしないといけないと

私自身にも家族にも伝えて

できるだけ会いに行くように

していたからでしょう。

 

父が亡くなった時

父に対して何もできなかったと

後悔することはありませんでした。

想像していた強いさびしさも

ありませんでした。

 

入院期間中、会話は少なかったですが

父と触れ合い交流をしたという実感が

そこに繋がったのだと思います。

 

肉体を離れた父が

傍にいてくれていることを

感じていることもあるのでしょう。

 

ハートの内が

父からの受け取った豊かさに

満たされていることもあるのでしょう。

 

通夜・葬儀は家族葬とし

どのような流れになるかと

身内のことで心配もしたのですが

ゆるやかで穏やかな

温かい時間が流れていきました。

 

父が亡くなったことで

様々な手続きをしているところですが

兄が率先して動いてくれているので

何もわからない母や私にとって

とてもありがたい状態になっています。

 

デイサービス勤務の3年間と

友人の話から

両親には保険や通帳等が

どうなっているか

どこに置いているか

私たちにわかりやすいように

していてねと声をかけていました。

 

本当は死んでからのことを

想定して言うなんて・・・と

躊躇していたところもあったのですが

勇氣を出して伝えていたら

父も母もそうしてくれていました。

 

終活という言葉が

最近聞かれるようになりましたが

それは本当に必要なことだと

実感しています。

 

人はだれでも死を迎えます。

 

いつ迎えるかはわからなくともです。

 

身近な人が死を迎えたら

何をすればいいかを

知っておくことで

とても助かることがあります。

 

それがどのようなものであるか

教えてくれるイベントが

4月22日に小倉であります。

 

www.facebook.com

 

公式ホームはこちら。

http://tunagokai.com/

 

残された家族が少しでも

故人の死を悼む時間を
慌しさの中で送ることのないように

知っていたらと思うのです。

 

 

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呪縛の言葉

久々に友人との会話や

FBでの投稿を見ていて

とある言葉にひっかかり

そこに腹を立てていた。

 

なぜそこまで

自分を卑下するのかな?

自分の魅力をわかってる!?

 

ということで

腹を立てていた。

 

セルフイメージで

私はこんな人間だからと

自分に言い聞かせている。

 

「何もできない」

「何もしていない」

ポンコツ

「力がない」

「能力が無い」

「平凡」

等々・・・

 

笑顔がとてもステキで

その笑顔に癒されると伝えても

 

声の響きが優しくて

その声に癒されると伝えても

 

そのままの貴女がステキだと

感じていると伝えても

 

その人の可能性を感じて

そこを伝えても

 

私はこんな人間だから

そんなことはないと否定し

 

相手のことを思い過ぎて

自分のことを置いてけぼりにして

相手を優位に立たせて

自分を卑下している。

 

昔は腹を立てていることだけを

自覚していたので

怒りを相手に出していた。

 

そこから

腹を立てている理由がわかった時

相手に伝えたいことを伝えるようになり

自分の魅力をわかってほしいと

一生懸命になっていた。

 

今は

自分の本当の魅力を

受け入れる時期がくるようにと

見守るようになってきた。

 

でもでも・・・

 

やっぱり腹が立つ時があるのだ。

 

いつまでそれやってんの!

自分の心と身体を大事にしてよ!

大好きな貴女がそこできつがってるのを

観ているのが嫌なんだよ!

 

できない自分が自分であると

言い聞かせ続けなくていいのに!

 

となるのだ。

 

それは過去の私を観ているからだと思う。

 

腹を立てている私に氣づいたら

勝手に腹を立てさせている。

 

そして

腹を立てていることを

伝えたいわけでなく

自分で作り上げた自分像を

演じ続け

自分をいじめ続けなくていいよと

伝えたい私自身を認めて

そこに氣づけるようにと祈っている。

 

氣づく時

受け入れられる時

その時を迎えられますように。

 

 

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1/27 今日のKOTOBA

久々の今日のKOTOBAは

 

『  DNAレベルの喜び
  魂・本質の喜び  』

 

人が感じる喜びとして

 

① 今まで生きてきた中で得た情報からのもの

(これが手に入れば幸せであり喜びである)

 

② DNAレベルで受け継がれてきたもの

 

③ 魂・本質からのもの

 

があり①は比較的わかりやすく

現実に達成しやすいもの。

 

美味しいものを食べる。

 

旅行に行く。

 

流行の服や化粧で

自分を美しくする。

 

ゲームでアイテムを手に入れ

強くなる。

 

受験勉強を一生懸命にして

目標とする学校に受かる。

 

資格試験を受けて資格を得る。

 

等々・・・

日常生活の中で見つけやすく

得られやすいものだと思います。

 

今朝ふっと浮かんでから

思考が展開していった結果

 

DNAレベルものも
魂・本質レベルのものの

喜びは見分けがつきにくいもの

 

と思いました。

 

内側の声を聴きましょう。

内観しましょう。

 

といわれるものは

身体で感じるものでもあり

身体に組み込まれている遥か昔の

ご先祖様がたの記憶も

そこに作用しているのでは?

と思ったからです。

 

過去の記憶だけではなく

親から受け継いできた

価値感・思考は

そのまた親から・・・

と過去をさかのぼっていくものが

あります。

 

それが作用していることは

私自身が感じていたこと。

 

魂・本質からのものは

その価値感・思考さえも

破壊されるような勢いのものがあり

そこからまた創造していく過程での

喜びを選ぶことのほうが多い。

 

どちらが良い・悪い

正解・不正解という話ではなく

 

どちらもあると知ることで

自分の内側の調和に繋がっていくこととなり

自分軸といわれるものがはっきりと確立され

生きることが楽になっていきます。

 

ただ・・・

①のような

他から与えられた情報で

これがあれば幸せで嬉しい

ということを選び続けていたら

そこには至りません。

 

一瞬は幸せを感じ嬉しく思っても

内側が満たされている状態でなければ

また別の満たしてくれるものをと

探すことになり

わかりやすい嬉しさと幸せを

追い求め続けて安心しようとする状態に

なります。

 

心に響く出来事でも

そうなるものがあります。

 

本来だったら

自分がそうありたいと

思える状況を作っている人のセミナーを

受け続けて情報だけを受け取り

安心している状況もそうです。

 

他から与えられることだけを望み

自分の内側で感じるものは

勘違いであると言い聞かせ

今まで生きてきた中で

「これが私だから」と

自分が作りこんだ自分像を

ずっと自分に言い聞かせ続けていても

何も始まりません。

 

静かに自分を感じてみる時間を

作ってみませんか。

 

最初は落ち着かなくても

頭の中であれこれと

思考をめぐらせていても

 

そんな状態の私があると

まずは認めて感じることから

始めてみませんか。

 

自然の中で

ただぼーっと木々を見てみる

風を感じてみる

鳥たちの鳴き声

水が流れる音を聴いてみる

 

そんなことからでもいいんです。

 

忙しく

騒がしくして

内側を感じないようにしているものが

あることに氣づきませんか。

 

 

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