お腹の人から繋がるご縁
8月のお盆明け~
お腹の人繋がりでご縁をいただいた人に
急遽~伊野さんツアーをする流れに。
真夏になり
暑さが半端ないと思って
自然ツアーはお休みにと
思っていた矢先に
しかも義父の初盆から帰ってから
翌日にこの流れ?
と思いつつも
お腹の人が動いていることと
根拠なくの必要性を感じたので
ご案内することに。
階段を上がる前から
氣の流れの違いを感じる風が吹いて。
滝の水の流れ等を感じる誘導から始まり
流れにそって必要な場を感じてもらいます。
もともとご自身の内側を
感じるセッションを受けている人だったので
誘導からすんなりと感じられて
後はご自身の感じるままに、任せて。
その日は
古神道をされている人とのご縁も。
そのご縁から
『警蹕』という言葉を
教えていただきました。
音霊の中には
神様をおよびする際に
出す音があるとのこと。
出るままに出している音が
そのようなことにも
繋がっているとは
何となく感じていたのですが
初めての方から教えてもらうことに
もう、いい加減認めなさいと
論されているような感じがしました。
人のことはわかっても
自分のことはなかなかわからないものです。
自分の立ち位置の確認もかねて
この人と感じる人に
セッションを受けることも
大事だと思っています。
話がそれちゃいました。
その場の氣がはっきりと変わったことを
感じた時に声をかけたくなり
お話をする流れとなり
『警蹕』という言葉を教えていただき
その後、異空間言語と音霊を
受け取ってもらう流れとなり・・・
場の空気が調整されたところで
その場を感じて音霊を出す流れに
ありがたさを感じつつ
感じるままに音霊を出してきました。
その時、お腹の人同士が
打ち合わせをして策を練り
この流れとなってるなと
何となく思っていました。
そうそうその日は
イケメンのカナヘビさんや
ちょっと恥ずかしがりな蝶さんとも
出逢えました(*^^*)
お昼を過ぎてランチをしようということとなり
お店に着いた途端に雨が。
いろいろと思ったところをシェアしあったり
私の自然ツアーに関してのアドバイスや
もろもろを上手に引き出してくれた敬依子さんが
その日のことをブログに書いてくださいました。
敬依子さんが話の中で
「その人の存在そのものを祝福したい。」
という感じのことをいわれていたことが
とても印象に残っています。
言葉にしなくてもわかる?
友人でもあり
布ナプキン『うふふわ』の
代表でもある~
とよきちゃんの今日の記事を拝読して
思い出してFBで書いた記事が
反響があったのでこちらにも(*^^*)
・・・
私はだんなさんから
名前を呼ばれたことがない。
付き合っている時も
結婚をしてからも
絶対名前を呼んでくれないだんなさんに
「なんで?」
と何度かきいてみたことがあったけれど
その理由をはっきりと伝えられず
名前を呼んでくれないだんなさんに
寂しさと悲しさを感じていた。
長女が一歳を過ぎたあたりだったかな?
初めての子どもが
私のことをどう呼んでくれるのか♪と
すごく楽しみにしていて
「あーちゃん」かな?
「かーたん」かな?
なんてイメージしてワクワクしていた。
ある日
2階で昼寝をしていた長女が
「おーい!
おーい!」
と1階にいる私に呼びかけてきた。
あ!起きたんだ!
と2階に急いでいった時
両手を広げながら長女は
「おーい♪」
と笑顔で言ってきた。。。
その瞬間、だんなさんに腹を立てた。
私の名前を呼ばないかわりに
だんなさんは私を呼ぶとき
「おい」
「ねえ」
という言葉を使っていた。
それが頭をよぎり
長女は私を「お母さん」という言葉で
認識をする代わりに
「おい」という言葉で認識をしたのだと。
夢はやぶれ・・・
私の名前を呼ばないだんなに対しての
寂しさと悲しさから
怨みつらみに変わった瞬間となったような。
そこからだんなさんに
ことの経緯を話して
夢がかなわなかったこと等も
伝えたのだけれど
笑って済まされた。
たかだか名前を呼ばないくらいで・・・
そう思ってるな!
と怒りは倍増。
そこからだんなさんに対して
ふつふつと怒りを溜め込んでいくこにも
繋がっていったなあ。
名前を呼んでくれるようにと
その後もチャレンジしてみたけれど
絶対に応えてくれず
怒りは募っていった。
大きくなった長女に
何かのきっかけで
「おーい」の話と
だんんさんから名前を呼ばれたことが
一回もないということを話した時だったか?
長女がだんなさんに
なんでなのかと何度か聞いた時に
「そんなこと、恥ずかしくて呼べるか!」
の一言が!
その言葉とだんなさんの顔を見た瞬間
今までの怨みつらみが笑いに変わった。
そこ辺りからかな?
だんなさんが恥ずかしいと思うのであれば
私から言ってやろう♪と思って
「大好き」
「愛してる」
と共に嫌がらせのように
だんなさんの名前を何かの時には
呼ぶようになったのは。
スキンシップもしよう!と
ハグ攻撃もし続けた。
初めは疎ましいからするな!という感じの
態度をとられ続けていたけれど
それでもやり続けた。
こんなに大好きなのに
こんなに愛してるのに
こんなに頼っているのに
こんなに心の支えになっているのに
そう思っていたことを形とする
行動に移してみることを
やり続けた結果・・・
先日の「逃げるは恥だか役に立つ」を見ながら
そのことも思い出していた。
今でも名前を呼ばれることはないけれど
そこに対して腹を立てることはない。
子どもとの会話では
「お母さんに聞きなさい。」や
「お母さんはどうなの?」
等のお母さんという言葉は使われるが
私に向かって
「お母さん」と言葉をいうこともない。
「おい」はなくなったが
「ねえ」とか「あなた」とかいう言葉を
使ってこられる。
それが何を表しているか・・・
理由をしったから腹を立てることもない。
言葉として伝えられることが
大事なこともある。
恥ずかしいからそっちで察知してくれと
当人がそう思っていることもわからず
言葉で伝えられてもいないものを
察知するのは難儀です。
ちなみにとよきちゃんの記事はこちら☆
何ものにも代え難いもの
一ヶ月くらいかな?
ブログを放置してました(笑)
8月は、大好きだった義父の初盆に
意識をフォーカスしていたこともあり
ブログは書かないままになってました。
昨年の中頃に
肝臓がん末期とわかり
昨年末の仕事納めが終わってから
寝込むこととなりあっという間に
この世を旅立っていきました。
特攻隊に入隊となり
知覧にいたこともある義父は
そのことをだんなさんを始め
家族に話すこともなかったそうです。
孫は、我が家の5人しか
いないこともあってか
とてもかわいがってくれ
誕生日にはお祝いを必ず
贈ってくれていました。
大分の季節の果物も
こまめに送ってくれて
我が家からの電話も
心待ちにしてくれる様子が
いつも感じ取られていました。
そんな義父だったので
肝臓がん末期とわかった時
子どもたちは強いショックを受けても
自分たちができることをと
考え動いてくれたなあと
今振り返ると思います。
私の父も大分出身なのですが
今回、大分の里の初盆では
『盛り籠』というものが
送られると知りました。
ずらっと並んだ『盛り籠』に
とても華やかさを感じながら
葬式や49日・お盆等は
見送る側の氣持ちの整理にも
繋がっているなあと思いました。
今回、長男の嫁という立場を
意識して動くことをしてみて
(といっても、世間一般でいわれる
できた嫁とは程遠いですw)
「いてくれて助かった。」
「氣配りができている。」
等の言葉を親戚から伝えられ
お盆の最中には
義母から伝えられることがあり
ありがたさをしみじみと感じていました。
それは
私が私自身を認め
受け入れてきたことが
それらのありがたい言葉を
素直に受け取ることになったとも。
自分のことを無意識に
卑下していることに
氣づくための流れに
ずっと乗ってきていたなあと
振り返ると思うのです。
自分自身を
無意識に卑下していると
いくら周りが自分を認めてくれていても
卑下される自分が当たり前で
そうでない自分は違うと
無意識で判断して
受け取っているようで
実は受け取っていない
ということをしているのです。
できない
足りない
そんな自分が当たり前だと
自分に24時間どころか
生きている間言い聞かせて
できない
足りない
自分を責め続ける。
他人だったら
離れることもできますが
自分自身だから
ずっとそれをしていることになります。
そこに氣づいてから
切り替えをし始めたのが
10年ほど前だったでしょうか。
長年つけてきた癖。
それを一氣になくすことを
望んでツールを探したり
してきましたが・・・
一氣にはなくなることはなく。
それどころか
できない
足りない
と責めている自分を責めることに
繋がっていたり。
できない
足りない
にフォーカスすることになって
できない
足りない
私を実感する出来事が
引き寄せられ続けたり。
いろいろと体験しました。
その体験していく過程が
私にとっては
とてもありがたいギフトだったと
今は至っています。
時間をかけて
得ていくもののありがたさは
何ものにも代え難い。
義父母との関係性も
親戚の人との関係性も
もろもろに・・・
時間をかけて
培われてきたものであり
私自身の人間性も
時間をかけて
培われてきたものであり・・・
一氣に手に入れようとしても
手に入れることができないもの。
人として生まれて
得たかったのものの一つに
ここがあるなあと
しみじみ思うのです。
中州川端ツアーでした☆
昨日は友人の案内で
中洲川端ツアー♪
まずは念願かなってこちらに♪
一度、フクロウと
触れあってみたかったんです(*^^*)
先ずは1羽から~
2羽~
3羽~
最終形態www
一番小さなフクロウの鳴き声が
一番大きかったことが印象的でした(笑)
自撮りって難しいー!
と心の中で叫びながら~
一番相性がよかったゴリちゃんと♪
ドアップになったので
写真は小さめにアップ(笑)
紫と薄いピンクの光が
写ったことが面白い♪
友人と私以外
お客さんが全て外国人ー☆
というところにびっくりしたけれど
みなさん、とっても楽しまれて♪
目と目での会話を
ちょっとだけできたのも
楽しかった♪
そこからお昼ごはんに~☆
何が食べたいですか?と
聞かれて
和食をリクエスト♪
こんなところに食堂が!?
というところに案内してもらい
美味しいお昼を食べることができました♪
好きなおかずをチョイスするのだけれど
そのおかずの向こうに座っている
うちわを持ったおじちゃんが
昭和の雰囲気をかもし出していて♪
食べ終わってから
席を立った時に目が合い
うちわとアイコンタクトで
食べ終わったものはあっちにーと
教えてくれるおまけ付き♪
なかなか面白いお店でもありました♪
そしてそして~
夏といえばこちら!
甘過ぎず~
宇治茶の味もしっかり味わえて
めっちゃ美味しかった(*^^*)
たくさん楽しんだ後は~
今日のメインイベントー☆
ということで
カフェに移動しました♪
つづく♪
プチ宗像ツアーでした♪
昨日は関東在住の友人から
福岡に来るのでちょっとだけでも^^
と声をかけられて宗像大社に。
世界遺産登録をされた影響か
次から次に参拝者が。
とても賑やかになっていました。
そこからちょっと離れて
とある場所にご案内。
6人来られていたのですが
反応された人だけにご案内。
以前だったら
せっかくだからみんなでと
行動をしていたと思います。
今は
その場で合図をして
反応された人が必要であると
感じることを選ぶようになりました。
エネルギーワークが終わった後に
他のお二人が反応されて
こちらにこられたので
感じていただくポイントを
声かけのみして後はお任せがいいと
感じたのでそのまま行動に。
その後、こちらで
参加されたお一人の方に
私が感じた状態をお伝えして
エネルギーワークをする流れに。
その後、これはと思うところありで
他のお二人にもエネルギーワークを
する流れに。
見えない世界に精通することで
氣があがりやすくなることを
私自身も体験しているので
そこに意識が向けやすくなっていることを
実感しつつグランディング誘導を
していました。
エネルギーワークも終わり
本殿へ戻ろうとした時に
その状況を見ていた
宗像大社のガイドさんが
声をかけてこられて。
階段を下りながら
ちょっとの時間お話する流れに。
やり取りの中で
「ここは素に還れる場と感じています。
子どもの頃にあった感覚
大人になって忘れた感覚
それらを思い出せる場所だと^^」
とガイドさんに話している
私自身に内心驚きつつ
思っていることを
口に出して言えるように
意識をしてきたことの効果を
確認することもできました。
そういえば・・・
エネルギーワークをした方にも
失礼に当たるかも・・・と思いつつ
頑張り続けすぎて
心と身体に無理をしてあることが
エネルギーにも
身体の動きにも出ていて
多少きつい言葉を
選んだほうがいいと感じて
浮かぶまま言葉を伝えていました。
その後はみんなでランチに♪
会話の中から
私とお二人が
幼い頃からの共通点があるとわかり
互いの母親の対応の違いの話に盛り上がる(笑)
みなさんの宗像滞在予定時間が
短かったこともあり
あっという間でした(*^^*)
後に友人から
「みなさん、とても喜ばれていました。」
とメッセージをいただき
静かな喜びを内側に感じました。
ご縁を繋いでくれた友人に
とても感謝しています。
言葉で表される効果はすごいと思う
最初にすごく強烈な言葉を出して
パワースポットについて
パワースポットについて
考えるきっかけになったのは・・・
何年も前に
友人と宮崎県の天安河原を訪れた時。
所狭しと詰まれた石・石・石。
隙間などないほどに
願いをこめて積み重なれた
石の塔で溢れていた。
その状態に驚くと同時に
思念エネルギーが重く苦しく感じられ
長く滞在できる状態ではなく。。。
その土地のエネルギーが
どんなものであったのか
わからないけれど・・・
土地のエネルギーが人の願い事の念で
覆われていて
土地そのもののエネルギーが
封じられていることは感じられた。
この出来事から
願い事の念を置いていくだけ置いていくことで
そのままにされた念は土地に留まり続けると
教えてもらったと思う。
その後、パワースポットに来たのだから
パワーをもらって帰らないと!
と話している人と出会ったりして
ますます、これって何だろう?と
疑問がわいてきた。
それはその土地に畏敬の念を持って
接するというよりも
もらえるものはもらわなくっちゃ♪
という感じに思えた。
そんな時に友人が
パワースポットでパワーを
もらわなくてもいいように
私自身がパワースポットになるねん♪
と話してくれ
本当にそうだなあと思った。
そこから私は・・・
人はそれぞれに
内側にパワーをもっている。
そのパワーを思い出すための
パワースポットであり
もらいにいくところではない
と思うようになり。
自分にはパワーがないなんて
いつから思うようになったのか。
内側からあふれ出るものを
いつから忘れてしまったのか。
皆それぞれに
個々のパワーがある。
本来の力を忘れて
ないものと思い込み
他のものをもらわないといけない
他のものをもらうことで
幸せになれるというのは
本当かな。
それだと
他のものをもらい続けないと
幸せでなくなるということ。
際限なく求め続けることが
本当に幸せなのかな。
求め続けて疲れない?
本当の幸せと感じるものは
どんな状態?
幸せに感じること思うこと
それは個々によって違う。
他人が考えた幸せの構造で
本当に幸せになれる?
そんなことを
自分自身に問い続けて
今は私が内側から満たされるものを
選ぶよう意識するようになった。
パワースポットといわれる場の
風を感じ
木々を感じ
水の流れを感じ
土地のエネルギーを感じ
そうすることで
内側が広がって行き
本来の自分の感覚を思い出していく。
そこから自分自身の内側から
あふれているものに氣づく・・・
そのあふれているものが
内なるパワーであり
あふれているものを自覚することで
自分自身がパワースポットであると
わかるようになると思うのです。