地球での人生を謳歌

Soulaのブログへようこそ!5人の子ども達を産み育てる中でのこと・看護師をしていた時の出来事等を通して、魂が地球での人生そのものを謳歌するために生まれてきていること思い出しました。ブログでは、Soulaが日常生活の中で氣づいたこと感じたこと等を綴っています。

父が亡くなりました。

父は以前から

心臓の弁が収縮していて

後3ミリ小さくなったら

手術が必要といわれていました。

 

季節の変わり目と

夏になると

息切れがするようになり

家で過ごす時間が

多くなっていきました。

 

「今年の誕生日で80歳になるね。」

と話をしていたのですが

今年の始めから体調が今一つとなり

一年に一回の心臓での受診を

のばしのばしにしていたこともあり

母と2人で受診をと話していた矢先に

熱を出して掛かり付けのクリニックに行くと

肺炎と診断され急遽入院に。

 

突然の入院に

高齢者である父は理解ができず

肺炎で入院になったことを伝えて

その時は

 

「そうか。」

 

と受け取るのですが

時間が経つと

 

「家に帰る。」

 

の繰り返し。

 

その度に根気よく

平静に状況を伝え

私や母が帰宅する時は

明日も来るからとハッキリと伝え

数日経つと

 

「家に帰る。」

 

とは言わなくなりました。

病室から家に帰ること

翌日もちゃんと来るということを

伝えるだけでも

本人は安心することを

デイサービス勤務をしていた中で

実感していたので

母からは、そこまでしなくても

といわれたのですが実行し続けました。

 

父は特にそういうことを

してほしい性質だったので。

 

高齢者の肺炎は
症状が出にくく

本人も自覚症状がないため

家族が氣づきにくいとは

看護師時代に知っていたのですが

これほどまでにわからないものなのか!?

と驚きました。

 

咳も痰もなく

ただいつもよりも元氣がないような?

季節の変わり目だからかな? 

 

という状態。

 

入院してから

初めのうちは会話ができていた父が

徐々に言葉がでなくなり

うん・ううんと言うようになり

会話ができなくなっていき

コミュニケーションを

とりづらい状態になっていきました。 

 

その中で

できるだけ父の意思を汲み取ろうと

動いた結果・・・

 

看護師として働いたこと

デイサービスで80~90歳代の

高齢者の人と関わらせていただいたこと

様々な認知症の方々と関わらせていただいたこと

 

そこからの体験が

すごく役にたっていることを

実感できることとなりました。

 

一ヵ月半ほど経って

父は眠るように息を引き取りました。

 

ほぼ毎日、病院に通い

声をかけながら

父の身体をさすったり

目やにをふき取ったり

口腔ケアをしたり。

 

子ども達の大学受験や卒業・入学等の

節目の時には子どもとともに報告にいったり。

 

何年も交流をすることがなかった

兄と互いに協力して

父がまだ認識・意識がある時に

家族で笑顔の写真を撮ったり。

 

できることはする。

後悔のないようにする。

 

そう決めて過ごした日々でもありました。

 

そして

 

父が言葉にならない豊かさを

私たちにもたらしてくれていることを

実感しつづける日々でもありました。

 

ほとんど傾眠傾向だった父に

心の中で問いかけたことに

父が「うん。」と返事をする

ということもありました。

 

目を開けることも

なかなかなかった時に

「お父さんのお腹の人は

 何を思っているのかな?」

と口に出してみると

 

大きく目を見開いて

私の顔を見る一こまもありました。

 

「ほしいものは水。

 水がほしい。

 ただそれだけです。」

 

意識がある時に

そう言って

水をほしがった父。

 

誤嚥をしやすくなっていたので

気管に入ってはいけないからと

水を含め飲む行為を止められたため

 

スプレーに水を入れて

父の口に吹きかけ

口を湿らせることを

すると

 

ひな鳥が餌を欲するように

口を大きく開けて

水を吹きかけることを

要求してきた父。

 

肺炎は改善されてきたけれど

治療に対して肝臓や腎臓が

ついていけなかったのでしょう。

 

肝臓や腎臓の値が悪くなり

全身がうっすらと浮腫み始め

尿量も減ってきて

本当に覚悟をしないといけないと

私自身にも家族にも伝えて

できるだけ会いに行くように

していたからでしょう。

 

父が亡くなった時

父に対して何もできなかったと

後悔することはありませんでした。

想像していた強いさびしさも

ありませんでした。

 

入院期間中、会話は少なかったですが

父と触れ合い交流をしたという実感が

そこに繋がったのだと思います。

 

肉体を離れた父が

傍にいてくれていることを

感じていることもあるのでしょう。

 

ハートの内が

父からの受け取った豊かさに

満たされていることもあるのでしょう。

 

通夜・葬儀は家族葬とし

どのような流れになるかと

身内のことで心配もしたのですが

ゆるやかで穏やかな

温かい時間が流れていきました。

 

父が亡くなったことで

様々な手続きをしているところですが

兄が率先して動いてくれているので

何もわからない母や私にとって

とてもありがたい状態になっています。

 

デイサービス勤務の3年間と

友人の話から

両親には保険や通帳等が

どうなっているか

どこに置いているか

私たちにわかりやすいように

していてねと声をかけていました。

 

本当は死んでからのことを

想定して言うなんて・・・と

躊躇していたところもあったのですが

勇氣を出して伝えていたら

父も母もそうしてくれていました。

 

終活という言葉が

最近聞かれるようになりましたが

それは本当に必要なことだと

実感しています。

 

人はだれでも死を迎えます。

 

いつ迎えるかはわからなくともです。

 

身近な人が死を迎えたら

何をすればいいかを

知っておくことで

とても助かることがあります。

 

それがどのようなものであるか

教えてくれるイベントが

4月22日に小倉であります。

 

www.facebook.com

 

公式ホームはこちら。

http://tunagokai.com/

 

残された家族が少しでも

故人の死を悼む時間を
慌しさの中で送ることのないように

知っていたらと思うのです。

 

 

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