Soula(魂人)の地球日記

人は地球で生まれ、人生を生きる中での豊かさを得ていきます。その豊かさに氣づく鍵が、内側から感じるものであることを思い出すこと。本来持っている自分自身の豊かさに氣づくこと。

自分には与えられないと思った時

 

 

昨日、友人と話しながら
過去のことを思い出していました。

 

『私は与えてもらえない』

 

『私は与えられる・受け取る
 そんな価値のない存在だ』

 

無意識の領域でそう思い込み
決め付けていたことで

 

本当は与えられていたのに
受け取れていなかったり

 

本当は与えられて
受け取ってもいることに
氣づかなかったり

 

等々をしていたことがある。

 

神様事で動いても

人が対価をもらって
していることと同等の
ものをしても

 

私はお金という形で
もらえていない!
もらえない!
どんどんお金は減るばかりだ!

 

宇宙貯金というものが貯まっても
今、この世界で使えるお金がなければ

 

どうにもできない!
生きていけない!

 

と嘆いていた時期は

 

お金ではない
人から差し出されていたものに
氣づけていなかった。

 

奪われていく感覚が強く
被害者意識が強かった。

 

その当時

他人からの情報から
理想と思い込んでいた形が
目の前に現れることを
強く望んでいたこともあり

 

その形に当てはまらないものは
次々に跳ね除けていた。

 

今思えば・・・

 

勿体無い
不義理な私だった。

 

その体験でのプロセスに
実はものすごいギフトもあることに
何年もたって氣づくことになるのだが。

 

その時期は私にとって

 

黒歴史でもあり
豊かでありがたいものでもある。

 

豊かでありがたいものであったと
腑に落とした瞬間

 

それらに対して感謝の念が
湧き上がってきたことも覚えている。

 

感謝しなさい!
感謝が大事!

 

と、読んだり聴いたりして
違和感を感じていたの理由が
その時にわかることにもなった。

 

感謝とは
無理にするものではない。

 

感謝しなければならない!と
自分の感情や思いを
圧し込めて否定することは
違うと感じていたことが
違和感となっていた。

 

今は・・・

 

相変わらずお金がー!

 

と思う状況はあるけれど
何とか生活できている。

 

それどころか・・・

 

相変わらずの状況であるのに
日常の中で豊かさを感じながら
生きることができている。

 

そして

 

同じような出来事が起きても
その流れは全然違うものと
なってきている。

 

それは

 

お金がない!

 

と足掻き嘆いていた時期が

 

他人からの情報から
理想と思い込んでいた形は
私自身が理想とする形ではない

そう氣づく時期であり

 

私の中で学び培われたものがあり
それによって『人間力』を養う

そんな時期であったと

 

腑に落としたからだと。

 

そして今・・・

 

様々なありがたい形を受け取り
ふっとお金にも繋がっている
そんな流れが増えてきています。

 

もし、与えられないと
思うものがあれば・・・

 

それを受け取る覚悟が
できている自分であるか

 

そこにフォーカスしてみると
いいのかもしれません。

 

 

 

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魂を開放すること

 

 

明日(8/26)は、私のKinバースデイ。

 

Kin200 音5
『黄色い太陽・黄色い戦士』

 

Kinバースデイの日には

自分自身のことを

宇宙に向けて宣言すると

いいらしいですよ。

 

マヤ暦から紐解くと
私は『受信・発生させる』タイプで
残念ながら『発信』するタイプではなく。

 

昔だったら・・・

 

『発信』するタイプだったら
広がりがあっただろうに!

ブログ等で書く事が

多くの人に伝わることに

なっただろうに!

 

そう思っていただろうけれど


今は『受信・発生させる』タイプ
そのものだと、納得しているので

 

というか・・・

納得せざるを得なかったので
諦めました(笑)

 

そのタイプであることを
受け入れて楽しむことを
選ぶようになってから

 

これが私だと
自分にOKを自分自身が出す
ようになってから

 

私の人生の流れが
変わっていってます。

 

『これが私だ』と
『自分にOKを自分自身が出す』

 

ここがミソ。

 

これをしなければ

 

他人にOKを出してもらうことを
延々と選び続けて
彷徨うこととなります。

 

スピリチュアルジプシーという
言葉を一時見かけましたが
まさにその状態ではないかと
思います。

 

他の誰かが知っている
他の誰かが認めてくれたら
私も認めることが出来る。

 

過去に私自身
無意識にそう思っていました。

 

誰かが認めてくれたら
私が私を認められる。

 

そのような状態を
傍から見たら

 

それはどうなの?

 

と思えるのですが


自分がそこに嵌っている
ということには
なかなか氣づきにくいもの。

 

その氣づきにくいものを
氣づくようにと

 

なぜ?
どうして?

 

という出来事が
繰り返し起こるんです。

 

似たような出来事が
繰り返し起こるのであれば
自分自身に氣づくものがあると
ちょっと立ち止まって
その出来事を人のせいにせず
自分の内側と対話してみたり

 

言葉にならないようであれば

 

海に向かって叫んでみる(笑)

 

紙とえんぴつを用意し
ただ浮かぶ言葉を書き出してみる。

 

ばか!
くそう!
なんやねん!
あほー!

 

等々、なんでもいいんです。

 

人に見せるものではないんですから。

 

書けない・・・

 

ということは

自分自身に遠慮しているんですよ。

 

そんなことを書いたら
嫌われる・・・

 

そう思うとしたら
おかしくないですか?

 

だれも言ってないし
だれもいないところで
書くとしたら

 

だれが嫌うんですか?

 

嫌うとしたら
ただ一人しかいませんよね。

 

それは貴方自身。

 

それだけ溜め込んでいるものを
いけないものと
忌み嫌っているのは貴方自身。

 

こんなことを
他の人に知れたらいやだもの

 

と思ったとしても


こんなことと思っているのは
だれでしょうか。

 

こんなことをしたとしても

こんなことをしたことを
知られたとしても

本当に嫌われるかどうか。

 

世界中の人が貴方を嫌うわけではなく


そんな貴方でも受け入れる人が
身近にいることを実感することにも
なったりするとしたら?

 

そうそう私の場合は
言葉にならないものだったので


パステルを使って
描きたいように絵を描いていました。

 

腹を立てていたら
腹を立てている様子を
絵に描く。

 

黒いパステルを
ただただぐわ!っと
塗り続けて
白い画用紙を真っ黒にしても
まだまだ描き続ける

なんてことも
いいと思います。

 

それが今の
『Soul Art 』に繋がっています。

 

話がそれました。

 

自分が嫌だ嫌いだというものを
自分自身も持っていることを
OKとできたら
世界が変わって観得てきますよ。

 

9月22日に小倉にて
Soul Art のWSを開催します。

 

貴方自身が感じているものを

言葉にならないものを

パステルを使って描くWS

 

 

www.facebook.com

 

 

このWSは

貴方が貴方自身の内側を

解放していくことにもつながります。

 

前回、リクエストをいただいて

開催した様子がこちら。

 

ameblo.jp

 

描き方等

何も決まりはなく

ただ描きたいままに描く。

 

それが

 

貴方自身の深い部分の氣づきにも

繋がっていきます。

 

それは

『魂を開放する』ことに

繋がっていくと

私自身の体験から実感しています。

 

 

 

 
 
 
 

12年出し続け、私の中でわかってきたこと。

 

 

soulakumiko9333.hatenablog.com

 

 

『異空間源語』のことを

前ブログで書きましたが・・・

 

『異空間源語』と表現するだけあって
種類はどれだけあるかわかりません。

 

地球での言葉と同じかというと
もっと違うもの。

 

言葉として限定するものとは違う。

 

『異空間源語』を『出す』

 

と表現をしているのは

 

『話す』という感覚ではなく
本当に『出す』という感覚であることと
『言葉として限定するものではない』

ということから。

 

言葉だと思い込むと・・・

思考が働いて

 

この意味は?
この訳は?

 

そう意識が向き


本来、テレパシーのように
感覚で受け取るものであるのに

 

思考(頭)だけで受け取ろうとすることに。

 

 

そうなってくると
受け取れるはずのものを

受け取らないこととなるか

 


受け取っても

そこに氣づかないことになるんです。

 

『異空間源語』のことを

もし訳したとしても
ほんの一部のもの。

 

見えない世界からのものを
訳している人は大勢いるでしょ?

 

代表的なところでいえば・・・

 

バシャールからのメッセージを
伝えている人がもういてはるでしょ?

 

じゃあ、なぜ『異空間源語』となるのか。

 

それは、音楽を聴くように
音として出てくるものを
身体中で聴いて感じ取ることで
受け取れるものがあるから。

 

様々な音楽があるように
様々な異空間源語があり

 

それぞれに聴きたい音楽があるように
それぞれに『魂が必要とする』異空間源語がある。

 

自分の内側から発する異空間源語は
自分に必要な音として出すものだから
癒しにも調整にもなる。

 

12年間出し続けると
上記のようなことがわかってきました。

 

ただ、それだけではありませんでした。

 

そのことは次回に。

 

 

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『異空間源語』の始まり。

 

 

私は『異空間源語』というものを

出します。

 

出し始めてから13年目。

 

きっかけは

宇宙語を話すという人のセッション。

 

当時の私は

 

「私には何かしなければ

 ならないことがある!」

 

根拠もなくそう思い込み

 

「何かしなければならないこと」

 

それが何であるのかを

早く知りたくて

探し続けていました。

 

宇宙語を話す人だったら

 

わかるはず!

教えてくれるはず!

 

そう思い込み

セッションをお願いしたんです。

 

セッションの時間となり

その人が現れた途端・・・

 

「あなた!

 宇宙語を話せるでしょ!?

 さあ!

 話して!

 口に出るものを出して!

 出てくるはず!」

 

立ったまま 言われ続け

恐れを感じた私は

無意識に心を閉じることに。

 

セッションの内容は忘れましたが

そのことだけは

今でも覚えています。

 

そうそう

 

結局

探していた「何か」は

わかりませんでしたし

 

その何かは

外に答えを求め続けても

わからないものであると

わかりました。

 

 

自分の内にその答えがあること

時間をかけてわかっていくもので

すぐにはわからないものでもあるとも。

 

 

家に帰ってから

晩御飯の支度をしている時に

子どもの頃に遊びでやっていた

デタラメ語を出してみよう♪と

遊び感覚で出したものは・・・

 

宇宙語と言われるものでした。

 

この体験が後に

私がセッションをすることに

とても役立つことになるとは

当時は思っていませんでした。

 

ただ・・・

 

宇宙語が話せるって

すごいなあ!

話せることで

すごい人になれるかもしれない!

 

当時

自己卑下と自己否定の塊の私は

そう思っていました。

 

宇宙語が話せるからすごい人と

いうわけではない。

人間性人間力がそこに繋がる。

 

後にわかっていくことになるのですが

そのことは機会があったら

書こうと思います。

 

・・・

 

12年の間に

 

宇宙だけでなはく

他の次元等の源語を

出していること

 

無理に訳す必要はなく

言葉ではなく

音として聴き受け取ったほうが

メッセージ全体を受け取りやすいこと

 

もろもろがわかってきました。

 

宇宙語という表現に違和感が出始め

なんだろうと思っていたら

友人が『異空間元語』『異次元語』

という提案をしてくれて

なるほど!と納得。

 

異なる空間や次元からのものだから

それだなと思ったんです。

 

『異次元語』が言いやすいと思い

しばらく使っていたのですが・・・

 

今朝、そのことについて書いていたら

『異空間源語』という言葉が浮かび

『源』の『語』ということが腑に落ちました。

 

これからは

 

『異空間源語』と表現していきます。

 

FBに投稿していたものを
こちらに書こうとしたら・・・

上記の流れになりました。

 

FBで投稿したものは
次にアップしますね。

 

 

 

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腑に落とすということ

 

 

今朝ふっと

 

「私は

 嬉しかったこと・楽しかったことの
 表現をめっちゃ苦手としている!」

 

という事が腑に落ちた。

 

以前から・・・

それはわかっていたけれど
腑に落とすまでは至ってなかったと
その時に自覚。

 

わかってはいるけれど・・・

 

だったんだなあ。

 

そのことから

私が幼い頃、両親に
嬉しかったこと・楽しかったことを
喜んで伝えようとしても・・・

 

何かの形で否定され
一緒に喜んでもらうことがなかったと浮かび

 

ああ、これかあー!と納得。

 

嬉しかったこと・楽しかったことを伝える

そのことを諦めていたんだ。

 

嬉しかったこと・楽しかったことを伝えても
一緒に喜んでもらえないし
どうせ否定される・・・

 

そう思い込んでいる。

 

プラス

 

嬉しいこと・楽しいことに罪悪感!
喜ぶことに罪悪感!

 

ふっと浮かんできて

 

なんでー!?

 

このことを書きながら驚く!

 

喜んじゃあいけないんだと
思うようになっていたのね私。

 

ほほー!

そこに繋がるのねー!

思い込みってすごい!

 

それは両親から

受け継いできたものでもあると
ふっと浮かんでもくる。

 

そういえば・・・

 

私の子ども達と一緒に
素直に喜ぶことも
できないともおぼろげに思っていた。

 

そうなると・・・

 

私の両親とのことが浮かび

 

もしかしたら
5人の子ども達の中にも
私からそれを受け継いでるのがいる?

 

そう思ったら・・・

 

おるおる!

顔が浮かぶ!

あちゃー!

やらかしたーと思うけれど・・・


でも大丈夫。

 

今、私がそこを腑に落としたもの。

 

私が氣づけたということは
流れが変わってくる。

 

今までもそうだった。

 

氣づいた時から

流れは変わっていった。

 

わかっている

ではなく

腑に落とすこと

 

それは自覚(自分に目覚める)ということだから。

 

・・・

 

今回は、私の脳の中で展開することも
書いてみました♪

 

こんな脳内展開が
いつも起こっているのが私です。

 

だから一人だけの時間を
取ることもとっても大切なんです。

 

時には何も考えず

何も感じることもなく

ただボーっとすることも。

 

感受性が高いので

特にそれは大切なんです。

 

・・・

 

こんなことを書いている
今朝のマハボテカードは

 

Change ― 変化

 

このカードは、動きが生じることを意味しています。
心をオープンにして流れに身を任せてください。
あなたの目の前に表われる変化は、自身が成長のために望んで計画してきたものです。
あなたの人生上に起こりつつある"必然の出来事"を進んで楽しみましょう。

 

・・・

 

全ては、私自身が成長のために計画をしてきたもの。

 

そう腑に落とした時の
私自身に対しての呆れようは
言葉にできないほどでした。

 

こんな人生嫌だ!

 

何度、そう思ってきたことか。

 

その嫌な人生を選んできたのは

私自身だったんですから。

 

そこに氣づき腑に落としてから

だれのせいにもできなくなりました。

 

私自身がこの人生を

選んできたことを
腑に落としてからは

 

人生で体験してきたもの全てが
内側の豊かさに繋がっていく流れに。

 

もちろん、嫌なことは
これからもあるでしょう。

 

その嫌なことすらも
自分が成長するために選んたものだ

 

そこを腑に落とした後と
腑に落とす前とは

 

自分自身の状態もその後の結果も
全然違っています。

 

さあ、これからまた
どう変化していくのでしょう。

 

とても、楽しみなのです。

 

 

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嫌な性質と思っているところの見方を変えてみたら

 

 

 

私は人の粗探しをしている!

 

そう思っていた時期がありました。

 

これは???

 

人にそう感じると同時に

違和感でいっぱいになる。

 

感じることが弱くて

心にひっかかった状態となって
時間がたってから

 

あれ!?

 

となり悶々とすることも。

 

嫌な人間だなあ私・・・

 

いつの頃からか
自分にそういい続けるようになり

 

粗探しをしないように
氣づかないように
氣づいても氣にしないようにと

 

努力をし続けた結果・・・

 

人の粗がもっと見えていきました。

 

そして

 

私ってなんて嫌な奴なんだ!


良い人になりたいのに
なぜ、なれないんだ!?

 

なんてやっていた記憶があります。

 

そんなことをやりながら
ある時に氣づいたんです。

 

粗探しは止められない。

 

無意識にやっているから
無理に止めようとすると
自己否定や自己卑下に繋がっていくと。

 

もし、それを活かせるとしたら?

 

そう思った時に

 

私自身が人の粗探しをしている!と
思い込んでいたことに
氣づいたんです。

 

人の粗に氣づく・・・

 

それは

 

その人の可能性が観えるということ。

 

もっとこうしたらいいのに
もっとこうしたら楽になるのに

 

そう思っていたことにも氣づきました。

 

もっとこうしたら・・・

 

そこにフォーカスしたら
今度は相手をそうさせようとする
動きをすることとなり

相手を自分の思い通りにコントロールしようと
していることに氣づいて

 

また

 

私って嫌な奴!に。

 

そうこうしていたら
相手の状態を観ながら
タイミングを計ることを覚え
見守るということを覚えていきました。

 

それとともに

 

いくら、こうしたほうがいいと感じていても
本人が腑に落とす形にならない限り
一瞬は、こうなった!となっても
また元の状態に戻るか
さらに本人にとってはきつい状態になると

氣づいていくことに。

 

体験し学び腑に落としていく。

 

伝える・教える

 

そのことは必要ではあるけれど
必要以上にすると
本人が腑に落とすことから遠ざけてしまう。

 

人として生まれた魂の
せっかくの体験を奪っていくことになる。

 

自ら乗り越える体験を奪っていく。

 

自ら乗り越えていくことで
魂の体験だけではなく
その人の人間力も培われ
生きるという力がついていく。

 

これは

 

私が生きてきた中で
わかってきたことです。

 

両親との関わり
看護師としての経験
(病院・デイサービス)
5人の母としての経験
(病氣・思春期・不登校等々)
小中学校での委員活動での経験
ジュニア・バレーの保護者役員としての経験
スピリチュアル活動からの経験
その他・・・

 

諸々を通してわかってきたこと。

 

目の前の人は

力がなく弱い存在

 

だから

 

私が守ってあげないと
私が支えてあげないと
私が教えてあげないと

 

その視点で観るのか

 

目の前の人は
可能性に満ちている

 

そんな視点で観るのかで

 

同じ行動を起こしたとしても
結果は違ってくることも
たくさん経験をしてきました。

 

嫌でたまらなかった私のことを認め
そこから活かせるものは何かと
視点を変えてみたら

 

その後が随分と変わっていきました。

 

 

 

 

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水に感謝を

20年ほど前のこと。

当時の私は

 

月刊誌『HADO』というものを

頼んでいました。

 

今は亡き 江本勝さんが発行されていたもの。

 

水の結晶という本も出され

「ありがとう」という言葉の

水の結晶の写真をみて

美しいなあと思い

水に感謝の言葉を伝えたいと

始めたことは・・・

 

お風呂に入った時に

江本さんが提唱していた言葉を

お風呂のお湯に伝えること。

 

湯船のお湯とはいえ

水で在る事には変わりなく

使い終わった後に下水を流れて

最終的には海に届くのであれば

この言葉のエネルギーも

一緒に届けてくれるはずだと思い

今でもやっています。

 

『 お水さん、ありがとうございます。

  お水さん、感謝しています。

  お水さん、尊敬しています。

  お水さん、愛しています。 』

 

提唱されていた順番は忘れましたが

この言葉を湯船で口に出しています。

 

疲れ等から忘れる時も

ずっと続けられたのは

できる範囲でとやってきたから。

 

無理をせず

できるところから始めると

続けることができることを

そこから実感しています。

 

地球のために

自分のために

まずはできるところから

始めてみませんか。

 

 

 

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