きつかった出来事
先日、とある人から
光と闇の話を聴きました。
その人は
私が過去にブロックした
宇宙の一部存在との部分を観て
これではいけないと
そのブロックをはずされ
これでスッキリしますよと
言われた後に
闇の存在と戦っていることを
話してくれました。
話を聴いているうちに
過去を思い出す流れとなり
ああ、私も闇をなくそうと
躍起になっていた時期があったなあと
家に帰ってから振り返ることに。
話を聴きながら
違和感を感じていたものが
帰路についてから
どんどんと膨らみ
それと同時に
頭痛と倦怠感が増していき
家に帰り着いてからは
ヘロヘロになって
そこから過去を思い出していました。
お陰で
今の私の立ち位置を
はっきりと自覚することに
繋がることになり。
闇をなくそうと躍起になる時
それは
自分の内にある闇と思われる部分を
無意識に否定していることになっていたと
私自身の体験を通して思います。
6年ほど前に起こった
ある出来事から
外の闇に向けて
戦いを挑んだとしても
次から次にやってくると
魂からメッセージを受け取り
戦うことを止めました。
外の闇に対峙するよりも
内の闇に対峙することのほうが
私の魂は望んでいるとも感じています。
闇をなくそう
闇と戦おう
そうすることで
闇に対する
憎しみや怒りを
増強させることになり
外の闇を増やす結果になる。
それに加え
周りの憎しみ・怒りを
増強させることにも繋がる。
私はそう感じています。
闇と思える部分も
私の一部にあり
それらは
私の人生の中で
掛け替えのないものに
氣づかせてくれる役目を
担ってくれてもいます。
光だから良い
闇だから悪い
短絡的な判断ではなく
なぜそれが生まれているか
なぜそれが心地よいのか
なぜそれが心地わるいのか
それを感じる根本を持っている
自分自身と対峙して
そこからどう生きたいのかを
選んでいくことのほうが
私には大切。
闇をなくそうと躍起になるよりも
闇が在ることを前提に
どうしていきたいかを
選ぶことのほうが
実り多い人生に繋がると思うのです。
そこに至ってから
10年前から出している
異空間言語や音霊の音
写真に写る風景
絵の描き方も
変化していきました。
先日の出来事から
写真に写る景色は
どこに焦点を当てて撮るかで
全然違ってくるということを書きました。
soulakumiko9333.hatenablog.com
どこに焦点を当てるか
どの価値観でみるか
それらで見え方
受け取り方が違ってきます。
どれが良い悪いで
判断するものでもないと
思っていますが・・・
自分フィルターのみで
相手を判断し
相手を変えようとすることは
相手が本当に望んでいることに
繋がらないことのほうが多いと思います。
人としての体験としては
そのことを選ぶこともあると
私自身を振り返って思うのですが
魂や本質が望む方向は
本人が一番知っていることであると
感じているのです。
そしてそのことを
思い出すことが
今からの時代には
ますます必要になると感じています。
今回の出来事は
そのことをしっかりと
自覚させてくれるものと
なりました。
まずは自分の内側から
整えていくことを
優先するほうが
変化が早いと思うのです。