Soula(魂人)の地球日記

人は地球で生まれ、人生を生きる中での豊かさを得ていきます。その豊かさに氣づく鍵が、内側から感じるものであることを思い出すこと。本来持っている自分自身の豊かさに氣づくこと。

本来の自分に

久々のブログですね(*^^*)

FBでは、毎日のように呟いているのですが

ブログとなると書く氣にならず

そのままにしていました。

 

今日は書き留めたいと思うものがあったので

こちらに書く事に。

 

今日の夕方

魂朋である滋賀の友人と

電話で近況を話している中で

魂朋である友人が

 

「『ほんぷく』の時期だね。」

 

と口に出したので

 

『ほんぷく』という言葉を検索してみたら

まさに、それだなあと納得。

 

コトバンクやgoo辞書では

 病気が全快すること。「治療のかいあって本復する」
 配流の地から自国に戻ること。また、前の地位財産を回すること。

 

とありました。

 

本来の自分に戻る時期。

 

生きていく中で

使ってはいけないものとして

判断(封印)していた本質のものを

思い出して使うことを認める時期。

 

魂の目的を思い出し生きるという意味も含め

そのような人を私は

『Soula』と表現することにしました。

 

『Soul』というところから『魂人』ということで『Soula』

 

なかなかあだ名がつかなかった私が

中学生時代につけてもらい

それが定着していったあだ名が『そうら』でした。

 

10年以上前に流行っていたMixiを始める時に

HNを何にするかを悩み

そういえば・・・と使ったものが『そうら』

 

ただ・・・

ひらがなでは格好がつかないなあと

『sora』としたのですが

月日が流れていく中でしっくりとこなくなり

『soula』にたどり着き

自分を認めていこうと決めてから

『Soula』とSを大文字に変えることに。

 

そこからのご縁は

今までにないものに繋がることとなり

なんだろうと思っていたら・・・

 

私自身が魂のことを思い出し

それを基盤として生きることを選んできていたと

自覚した時に

 

『Soula』とは私のことではなく

『魂を思い出し、それを基盤と認めて生きることをする人』=『魂人』

 

ということで

そういう生き方をする人を『魂人』=『Soula』だと

腑に落とす流れに。

 

『Soula』である人は

一般の人から理解され難いか

人との中で違和感を感じる等で

孤独を感じやすかったりするともわかり。

 

なぜそうであるかもわかり。

 

その人生を選んで生まれてくることで

体験をしていき得たいものがあったから

と腑に落とすことにもなりました。

 

なぜ?

どうして?

 

の人生から

自分の本質

本来持っている力(可能性)

それらを思い出し(還元)

生きる時期になったということで

先に書いた魂朋の言葉

 

『本復』

 

という言葉に繋がるのだと感じました。

 

魂朋は生まれてくる前の記憶を持っている『お腹の人』の絡みで

『本腹』と浮かんで言ったそうです。

 

『本来の自分に還って生きる』

 

その時期に確実に入っていると

実感できる出来事が

たくさん起こっています。

 

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4月18日 今日のKOTOBA

久々の今日のKOTOBAは・・・

 

物事は何事も基礎から。

 

基礎を知らない者に
物事の流れを説明し

行動を起こすように伝えても

 

その者はその行動を

理解できないまま行動を起こし

説明をした者にとっては

不可解な行動に映るだろう。

 

・・・

 

これは常識であるから

知っているはず。

わかるはず。

 

この資格を持っているから

知っているはず。

わかるはず。

できるはず。

 

そう思っていても

本人が基礎となるものを

知らなければ

知恵を伴った行動には

至らないのです。

 

物事はまずは基礎から。

 

根気よくやっていきましょう。

 

 

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父が亡くなりました。

父は以前から

心臓の弁が収縮していて

後3ミリ小さくなったら

手術が必要といわれていました。

 

季節の変わり目と

夏になると

息切れがするようになり

家で過ごす時間が

多くなっていきました。

 

「今年の誕生日で80歳になるね。」

と話をしていたのですが

今年の始めから体調が今一つとなり

一年に一回の心臓での受診を

のばしのばしにしていたこともあり

母と2人で受診をと話していた矢先に

熱を出して掛かり付けのクリニックに行くと

肺炎と診断され急遽入院に。

 

突然の入院に

高齢者である父は理解ができず

肺炎で入院になったことを伝えて

その時は

 

「そうか。」

 

と受け取るのですが

時間が経つと

 

「家に帰る。」

 

の繰り返し。

 

その度に根気よく

平静に状況を伝え

私や母が帰宅する時は

明日も来るからとハッキリと伝え

数日経つと

 

「家に帰る。」

 

とは言わなくなりました。

病室から家に帰ること

翌日もちゃんと来るということを

伝えるだけでも

本人は安心することを

デイサービス勤務をしていた中で

実感していたので

母からは、そこまでしなくても

といわれたのですが実行し続けました。

 

父は特にそういうことを

してほしい性質だったので。

 

高齢者の肺炎は
症状が出にくく

本人も自覚症状がないため

家族が氣づきにくいとは

看護師時代に知っていたのですが

これほどまでにわからないものなのか!?

と驚きました。

 

咳も痰もなく

ただいつもよりも元氣がないような?

季節の変わり目だからかな? 

 

という状態。

 

入院してから

初めのうちは会話ができていた父が

徐々に言葉がでなくなり

うん・ううんと言うようになり

会話ができなくなっていき

コミュニケーションを

とりづらい状態になっていきました。 

 

その中で

できるだけ父の意思を汲み取ろうと

動いた結果・・・

 

看護師として働いたこと

デイサービスで80~90歳代の

高齢者の人と関わらせていただいたこと

様々な認知症の方々と関わらせていただいたこと

 

そこからの体験が

すごく役にたっていることを

実感できることとなりました。

 

一ヵ月半ほど経って

父は眠るように息を引き取りました。

 

ほぼ毎日、病院に通い

声をかけながら

父の身体をさすったり

目やにをふき取ったり

口腔ケアをしたり。

 

子ども達の大学受験や卒業・入学等の

節目の時には子どもとともに報告にいったり。

 

何年も交流をすることがなかった

兄と互いに協力して

父がまだ認識・意識がある時に

家族で笑顔の写真を撮ったり。

 

できることはする。

後悔のないようにする。

 

そう決めて過ごした日々でもありました。

 

そして

 

父が言葉にならない豊かさを

私たちにもたらしてくれていることを

実感しつづける日々でもありました。

 

ほとんど傾眠傾向だった父に

心の中で問いかけたことに

父が「うん。」と返事をする

ということもありました。

 

目を開けることも

なかなかなかった時に

「お父さんのお腹の人は

 何を思っているのかな?」

と口に出してみると

 

大きく目を見開いて

私の顔を見る一こまもありました。

 

「ほしいものは水。

 水がほしい。

 ただそれだけです。」

 

意識がある時に

そう言って

水をほしがった父。

 

誤嚥をしやすくなっていたので

気管に入ってはいけないからと

水を含め飲む行為を止められたため

 

スプレーに水を入れて

父の口に吹きかけ

口を湿らせることを

すると

 

ひな鳥が餌を欲するように

口を大きく開けて

水を吹きかけることを

要求してきた父。

 

肺炎は改善されてきたけれど

治療に対して肝臓や腎臓が

ついていけなかったのでしょう。

 

肝臓や腎臓の値が悪くなり

全身がうっすらと浮腫み始め

尿量も減ってきて

本当に覚悟をしないといけないと

私自身にも家族にも伝えて

できるだけ会いに行くように

していたからでしょう。

 

父が亡くなった時

父に対して何もできなかったと

後悔することはありませんでした。

想像していた強いさびしさも

ありませんでした。

 

入院期間中、会話は少なかったですが

父と触れ合い交流をしたという実感が

そこに繋がったのだと思います。

 

肉体を離れた父が

傍にいてくれていることを

感じていることもあるのでしょう。

 

ハートの内が

父からの受け取った豊かさに

満たされていることもあるのでしょう。

 

通夜・葬儀は家族葬とし

どのような流れになるかと

身内のことで心配もしたのですが

ゆるやかで穏やかな

温かい時間が流れていきました。

 

父が亡くなったことで

様々な手続きをしているところですが

兄が率先して動いてくれているので

何もわからない母や私にとって

とてもありがたい状態になっています。

 

デイサービス勤務の3年間と

友人の話から

両親には保険や通帳等が

どうなっているか

どこに置いているか

私たちにわかりやすいように

していてねと声をかけていました。

 

本当は死んでからのことを

想定して言うなんて・・・と

躊躇していたところもあったのですが

勇氣を出して伝えていたら

父も母もそうしてくれていました。

 

終活という言葉が

最近聞かれるようになりましたが

それは本当に必要なことだと

実感しています。

 

人はだれでも死を迎えます。

 

いつ迎えるかはわからなくともです。

 

身近な人が死を迎えたら

何をすればいいかを

知っておくことで

とても助かることがあります。

 

それがどのようなものであるか

教えてくれるイベントが

4月22日に小倉であります。

 

www.facebook.com

 

公式ホームはこちら。

http://tunagokai.com/

 

残された家族が少しでも

故人の死を悼む時間を
慌しさの中で送ることのないように

知っていたらと思うのです。

 

 

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呪縛の言葉

久々に友人との会話や

FBでの投稿を見ていて

とある言葉にひっかかり

そこに腹を立てていた。

 

なぜそこまで

自分を卑下するのかな?

自分の魅力をわかってる!?

 

ということで

腹を立てていた。

 

セルフイメージで

私はこんな人間だからと

自分に言い聞かせている。

 

「何もできない」

「何もしていない」

ポンコツ

「力がない」

「能力が無い」

「平凡」

等々・・・

 

笑顔がとてもステキで

その笑顔に癒されると伝えても

 

声の響きが優しくて

その声に癒されると伝えても

 

そのままの貴女がステキだと

感じていると伝えても

 

その人の可能性を感じて

そこを伝えても

 

私はこんな人間だから

そんなことはないと否定し

 

相手のことを思い過ぎて

自分のことを置いてけぼりにして

相手を優位に立たせて

自分を卑下している。

 

昔は腹を立てていることだけを

自覚していたので

怒りを相手に出していた。

 

そこから

腹を立てている理由がわかった時

相手に伝えたいことを伝えるようになり

自分の魅力をわかってほしいと

一生懸命になっていた。

 

今は

自分の本当の魅力を

受け入れる時期がくるようにと

見守るようになってきた。

 

でもでも・・・

 

やっぱり腹が立つ時があるのだ。

 

いつまでそれやってんの!

自分の心と身体を大事にしてよ!

大好きな貴女がそこできつがってるのを

観ているのが嫌なんだよ!

 

できない自分が自分であると

言い聞かせ続けなくていいのに!

 

となるのだ。

 

それは過去の私を観ているからだと思う。

 

腹を立てている私に氣づいたら

勝手に腹を立てさせている。

 

そして

腹を立てていることを

伝えたいわけでなく

自分で作り上げた自分像を

演じ続け

自分をいじめ続けなくていいよと

伝えたい私自身を認めて

そこに氣づけるようにと祈っている。

 

氣づく時

受け入れられる時

その時を迎えられますように。

 

 

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1/27 今日のKOTOBA

久々の今日のKOTOBAは

 

『  DNAレベルの喜び
  魂・本質の喜び  』

 

人が感じる喜びとして

 

① 今まで生きてきた中で得た情報からのもの

(これが手に入れば幸せであり喜びである)

 

② DNAレベルで受け継がれてきたもの

 

③ 魂・本質からのもの

 

があり①は比較的わかりやすく

現実に達成しやすいもの。

 

美味しいものを食べる。

 

旅行に行く。

 

流行の服や化粧で

自分を美しくする。

 

ゲームでアイテムを手に入れ

強くなる。

 

受験勉強を一生懸命にして

目標とする学校に受かる。

 

資格試験を受けて資格を得る。

 

等々・・・

日常生活の中で見つけやすく

得られやすいものだと思います。

 

今朝ふっと浮かんでから

思考が展開していった結果

 

DNAレベルものも
魂・本質レベルのものの

喜びは見分けがつきにくいもの

 

と思いました。

 

内側の声を聴きましょう。

内観しましょう。

 

といわれるものは

身体で感じるものでもあり

身体に組み込まれている遥か昔の

ご先祖様がたの記憶も

そこに作用しているのでは?

と思ったからです。

 

過去の記憶だけではなく

親から受け継いできた

価値感・思考は

そのまた親から・・・

と過去をさかのぼっていくものが

あります。

 

それが作用していることは

私自身が感じていたこと。

 

魂・本質からのものは

その価値感・思考さえも

破壊されるような勢いのものがあり

そこからまた創造していく過程での

喜びを選ぶことのほうが多い。

 

どちらが良い・悪い

正解・不正解という話ではなく

 

どちらもあると知ることで

自分の内側の調和に繋がっていくこととなり

自分軸といわれるものがはっきりと確立され

生きることが楽になっていきます。

 

ただ・・・

①のような

他から与えられた情報で

これがあれば幸せで嬉しい

ということを選び続けていたら

そこには至りません。

 

一瞬は幸せを感じ嬉しく思っても

内側が満たされている状態でなければ

また別の満たしてくれるものをと

探すことになり

わかりやすい嬉しさと幸せを

追い求め続けて安心しようとする状態に

なります。

 

心に響く出来事でも

そうなるものがあります。

 

本来だったら

自分がそうありたいと

思える状況を作っている人のセミナーを

受け続けて情報だけを受け取り

安心している状況もそうです。

 

他から与えられることだけを望み

自分の内側で感じるものは

勘違いであると言い聞かせ

今まで生きてきた中で

「これが私だから」と

自分が作りこんだ自分像を

ずっと自分に言い聞かせ続けていても

何も始まりません。

 

静かに自分を感じてみる時間を

作ってみませんか。

 

最初は落ち着かなくても

頭の中であれこれと

思考をめぐらせていても

 

そんな状態の私があると

まずは認めて感じることから

始めてみませんか。

 

自然の中で

ただぼーっと木々を見てみる

風を感じてみる

鳥たちの鳴き声

水が流れる音を聴いてみる

 

そんなことからでもいいんです。

 

忙しく

騒がしくして

内側を感じないようにしているものが

あることに氣づきませんか。

 

 

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15年の歳月からわかったこと

久しぶりのブログですね。

 

12月の新月の日に

とても楽しく素晴らしい伊野さんツアーをしたり

 

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翌日にも伊野さんで友人のタオライアーと
コラボをして遊んだり等々~

 

 

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FBではほぼ毎日投稿しても

 

ブログには書く氣にならず

そのまま放置していました(笑)

 

無理にでも書くということを

以前していたことがあるのですが

それも違うなあと思うようになり。

 

これをしなければならない!

 

というものを

たくさん手放してきた年月を

今朝、思い出していました。

 

36~37歳の頃から

 

『私には何かすることがある!

 しなければならないことがある!』

 

誰かに言われたわけでもないのに

そう思うようになり

それを探すようになりました。

 

『このままで人生を終えていいのか?』

 

そうも思っていた記憶があります。

 

早く『私がしなければならないこと』を

見つけ出して安心したい!

と焦って見つけようとしていましたが

ピン!とくるものはなく。

 

探し続けていた時に

ある人から

「あなたが決めたら、そのようになります。」

という言葉だけを受け取ることとなり

その後、5番目の妊娠がわかり産むと決めることに。

 

妊娠中は激動の日々が続き

出産をした後しばらくして

「そういえば・・・!」

と私がしなければならないことを

また探し出すことに。

 

探しても探しても

見つからないことで焦り

宇宙語を話す人だったら

わかるかもしれない!と

宇宙語を話す人のセッションを

受けてみたら・・・

 

開口一番に

 

『あなたは宇宙語を話せるでしょ!

 さあ、何でもいいから出してください!』

 

とセッションはそっちのけで

攻め立てられるように言われ続け

びっくりして貝が殻を閉じるように

身体と心が硬くなり

セッションで何を言われたのか

覚えていません。

 

家に帰り着いて

 

晩御飯の準備のために

包丁で材料を切りながら

宇宙語が話せるようになったら

すごいことだ!と思い
子どもの頃でたらめ語を出して

遊んでいた感覚で出してみたら

それが宇宙語でした。

 

その流れから

無理に相手から引き出そうとすると

防御反応が働いて返って引き出せなくなる

ということがわかりました。

 

そして

相手から宇宙語を引き出すことの

コツもわかり

後に人から宇宙語を引き出すことを

私自身がするということにも

繋がっていきました。

 

宇宙語という表現に違和感を

感じるようになり

話すという表現にも違和感を感じ

なんだろうと思っていたら・・・

 

音として感じながら受けとることが

ベストだということ

宇宙だけでなく多次元からの音もある

ということがわかり

『異空間言語』と今は表現しています。

 

 

 

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『異空間言語』を出し出して

12年の年月が経ちました。

 

それらを訳すことができる人もいますが

12年間出し続ける中で

訳さなくてもいいと思うようになり

音として感じ取ってもらうことで

言葉にならない多くのものを

受け取ることができるということも

わかってきました。

 

五感を使って受け取ってもらうことで

第六感の部分を思い出す流れにもなると

わかってきました。

 

12年前に比べて

『異空間言語』を受け取れる人が増え

『異空間言語』を出す人も増えました。

 

初めの頃は

宇宙語(異空間言語)を話せることはすごいことだ!

と思う仲間がいて

みなで集い楽しんでいましたが

話せることに価値が見出せず

話すことで拒否をされることもあり

宇宙語(異空間言語)といわれるものを

話す人は周りにいなくなりました。

 

以前話していた人から

「いい加減、やめたほうがいいよ。」

 

と助言されたこともあります。

 

それでも

なんだかわからないけれど

出し続けたほうがいい

出し続けなければならない

と感じてずっと出していました。

 

そのことで傷ついたり

悲しい思いもしましたが

やめることは違うと感じ

出し続けていました。

 

 

 

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そこから何が起こったか・・・

 

「どうせ、私なんて・・・」

 

という思い込みが私の奥底にあり

そこから物事を観ていたことに氣づき

 

外からもたらされる情報が真実だと

思い込んでいることにも氣づき

 

それらから解放されていく流れとなって

私は私の本質を思い出していったのです。

 

そして

 

私が何をしたくて生まれてきたのかを

思い出すことになりました。

 

 

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私には大学教授の兄がいますが

その兄と幼い頃より比べ続けられ

両親に認められることもなく

強い孤独感を抱え続け

 

辛い悲しいと思い込んでいた人生を

私の魂が選んで生まれてきたことも

腑に落とすこととなり唖然とすることにも。

 

 

『私には何かしなければならないことがある。』

 

 

 

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それは私の本質を思い出し

内側にあるものを思い出し

そこから生きることだったんです。

 

それがわかるまで

15年ほど掛かりました。

 

15年ほどかかりましたが

今の人たちはもっと早くわかる流れに

なっていると周りをみて感じます。

 

自分の内側を思い出すために

外に答えを求めてもわかりません。

 

自分自身のことは自分しかわからないから。

 

外はアドバイスやヒントは与えてくれます。

 

正解は、自分の内側しか知らないので

他人が正解を教えてくれることはありません。

 

本来の自分を思い出すことは

自分しかできないんです。

 

だから、まずは自分を感じてみること。

 

何を喜び

何を悲しみ

何を楽しみ

何を怒っているのか・・・

 

感情は、本来の自分を思い出すことに

たくさんヒントを与えてくれます。

 

自分がどうであるかを

感じることができるようになったら

内側から湧き出てくるものを

感じ取れるようになります。

 

そうなると

ご自身が何に豊かさを感じ

心からの喜びを感じるかが

わかるようになります。

 

他から与えられた豊かさの概念に

翻弄されていたことに

氣づくことにもなります。

 

氣づくことが

そこから解放されることに

繋がっていきます。

 

それは52歳になった

今の私が過去を振り返って

わかったことなのです。

 

 

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内側を満たしていくと変化が早い

新月の日にイベントをすると決めて
イベントを立てていたら
 
今日、2人の友人がFBで
素敵に紹介してくださいました。
 
そのことがとても嬉しくて
ジワジワとこみ上げてくるものがあり
心がジワ~と喜びで満たされていきました。
 
私のやっていることは
表現にしずらくて
なかなか言葉にできない
説明できない・・・
 
とジレンマを感じる時期が
長かったんです。
 
そのジレンマから
わかってもらえない!
認めてもらえない!
 
とくやしく思ったり
人のちょっとした反応や言葉から
すごく喜んでみたり。
 
感情のジェットコースターにのっていたなあ。
 
感情のジェットコースターを
味わっていた頃は
このジワジワと溢れるものを
感じ取ることはできなかったなあ。
 
嬉しい!
楽しい!
腹が立つ!
もう!
悲しい!
寂しい!
 
いっぱいいっぱい
感じてきたけれど
腹立ちや悲しさ寂しさ等を
感じきるまでに至ってなかった。
 
全部相手のせいにしていた時もあった。
全部自分のせいにして
それがきつくて認め感じたくないと
逃げていた時もあった。
 
きつ過ぎて・・・
魂が身体に留まりきれなくて
宙に浮いている状態の時もあった。
 
その状態の時は
感情を感じないようにしていたり
自分を大切にすることなんて
置き去りにしていた。
 
そうなると
自分にとっての幸せが
なんであるかなんて
わからなくなる。
 
そこに氣づいて
 
少しずつ
少しずつ・・・
 
感じるものを丁寧に受け取って感じて
私を大切にしようとやっていった。
 
すごいことに
身体は各部位で感情等からの
痛みを記憶していて
痛みを感じた出来事に類似したものがあると
その記憶を瞬時に思い起こして
過去の記憶につなげていることがわかった。
 
痛みを丁寧に感じていると
左下腹部あたりに痛みを感じたり
鳩尾辺りから痛みを感じたり
胸からの時もある。
 
全部が同じところからではなく
違っているというところが面白い。
 
あ、今回は胸だ・・・
あ、今回は左下腹部からだ
 
等々を感じると同時に
それが外からの刷り込みのものであるか
私自身からのものであるかを整理したり。
 
家系からのものや
親が体験してきたものからのもの
報道等を通した情報からのもの
集団意識体からのもの
 
もろもろが作用していることもわかった。
 
それは、人から教えてもらったものではなく
また、いっぺんにわかったものでもなく
 
やっていくうちに
ああ、これは・・・
とわかっていったもの。
 
だから信憑性がないと
疑いもした。
 
疑いもしたけれど
私の内からわかっていったものだと
徐々に受け入れる流れに。
 
徐々に徐々にと
時間をかけてしていく内に
ジワジワと湧き上がるような
こみ上げるような感覚に
氣づくようになりました。
 

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ジワジワとした感覚は
私の内側を満たしていき
内側が安定していきました。
 
感情から感じるものを
認めないように感じないように
していた時の感情の起伏は
とても激しかったのですが
 
内側が満たされていく中で
その起伏の激しさは減っていき
徐々に穏やかになっていきました。
 
それに伴って
 
以前、現実化してほしい!と
切に願い望んでいたものが
いつの間にか
ふっふと現実化していくことを
体験するように。
 
人を変えようとしても
現実は変わらないけれど
自分を変えていくと
現実が変わっていくことを
実体験しています。
 

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今年最後の新月の日にこちらのイベントをします。

伊野さんは、生まれてくる前の記憶(感覚)を
思い出すサポートエネルギーに満ちている場。

その場で
異空間言語と音霊は魂と本質にアプローチし
ご自身の可能性を体で感じていただくことで
これからの人生を輝かせることに繋げます。

内側にあるものを思い出すことで
ご自身の可能性が広がります。

www.facebook.com