Soula(魂人)の地球日記

人は地球で生まれ、人生を生きる中での豊かさを得ていきます。その豊かさに氣づく鍵が、内側から感じるものであることを思い出すこと。本来持っている自分自身の豊かさに氣づくこと。

11/28 今日のKOTOBA

 

今日のKOTOBAは

 

『お前がどうしたいかだ。』

 

  

 

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今朝久々にお腹の奥から

 

 

『お前がどうしたいかだ。』

 

 

と伝えられました。

 

 

お腹の奥には

生まれてくる前の記憶を持った

もう一人の私が在り

何かの時にはアドバイス的なものを

もらうことがあります。

 

言葉としてのアドバイス

もたらされることはほとんどなく

いつもは感覚で伝えてくるのですが

その感覚さえもよっぽどのことがない限り

ありません。

 

生まれてくる前に決めてきたことを

忘れていたほうがいい状態もあります。

人として生きることを

優先させることで得るものがあるんです。

 

今朝は珍しくはっきりとした言葉でした。

第三章に入ったからでしょうか。

 

 

これからますます

人生を謳歌していくことに

なっていくようです。

 

    soulakumiko9333.hatenablog.com

 

 

 

第三章に入るらしい

5人の子どもがいることに

驚かれることが多いのだけれど

私も5人を産み育てることに

なるとは思ってもいなかった。

 

結婚した当初だんなさんと
子どもは3人だと決めていたので

3人目を産んだ時は

30代に入る前にギリギリで産めた!と

喜んでいた。

 

まさか40代に入る前にギリギリで

五番目を産むことになるとは。。。

 

一人ずつ子どもが増えていったので

産む一年前後は大変であったけれど

それ以外の生活においては

徐々に鍛えられていき

 

大変でしょ?

ようがんばってるね!

 

等言われても

 

何で???

みんなやろうと思えば

できると思うし。

 

と思っていた。

 

そうあることが

当たり前になっているので

私ができているんだから

みんなできる!

 

と思っていた。

 

最近・・・

『あなたみたいに
 何があってもドンと構えている

 お母さんになりたい。』

 

といわれることを言われ

嬉しい氣持ちはありつつも

 

え?

私、どんと構えてないしー!

母親としてはどうなんだ状態だしー!

 

と戸惑った。

 

ようよう振り返ってみたら・・・

 

・5人育てる中でのママ友等との出来事
 特に小学校での社会体育

・看護師として仕事をしていた中での出来事
 夜間の診療外来

 デイサービス

・長女次女に対するいじめ

 所属していたジュニアバレー等が発端

・4人の子どもたちの登校拒否

 次女・小学2年中学1年

 長男・中学1年高校2~3年

 次男・高校1年

 三男・幼稚園小学1~4年

 

その他もろもろに付随しての体験を

いっぱいさせてもらったから

そう見えるのかと納得。

 

もしかして

異空間言語(宇宙語)・音霊を出すこと

自分の弱さダメさと思い込んだものを

徐々に認めていっているところもあるのかもしれない。

 

そういえば・・・

10年ほど前に子どもたちの前で

結婚してから一回もしたことのない

取っ組み合いの夫婦けんかをして

その後にも三回ほどしたことで

だんなさんとの信頼関係が

培われたこともあるのかも。

 

 

経験が今の私に繋がっている。

 

若い人の行動力が

羨ましいと思う時もあるけれど

若い頃に戻ってやり直したいとは思わない。

 

今までの経験が

私の豊かさであると感じているから。

 

今朝洗濯物を干していたら

 

「さあ!次は第三章だ。」

 

といわれた氣がした。

 

どこまでが第一章~第二章であるのか

わからないんですが・・・

また何か変化していくらしいです。

 

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何度も繰り返すのは悪いことじゃない。

ご縁があった人に

以下のようなことを

お話しすることが多いなと

思って書く事にしました。

 

それは

もう癒された

もうクリアした

 はずなのに・・・

 

同じことをまたしている

同じようなことがまた起こっている。

 

そんな時

同じことをしている

私でいけない人だと

思ってませんか?

責めていませんか?

ということ。

 

例えば・・・

 

どうせ私なんて

 

ということを

またやってる

また嵌っている 

と氣づいて落胆する。

 

ちょっと待って。

 

それって

長年かけて

何度も何度も繰り返して

やってきた癖ですよね?

 

長年かけて染み込ませてきた癖を

 

ああ!

こんな癖を持っている!

 

と氣づいて

その癖をすぐにやめることができますか?

 

思い癖や価値観等々

ヒーリング等の

エネルギーワークをして

すっきりしたとしても

肉体はそれを記憶しています。

 

細胞レベルどころか

DNAレベルまで記憶しているものも

あると私の体験から思います。

 

それが一挙になくなってほしい!と

願い続けた結果・・・

一挙にはなくならないことや

魂が一挙になくすことを選んでいないこと

もろもろを自覚してきました。

 

筋肉を鍛えていくように

心も鍛えての成長を望んでいたら

頭では一挙になくなるようにと

望んでいてもなくなりません。

 

赤ちゃんの頃

転んで痛い思いをしても

立ち上がること・歩くことに

チャレンジをし続けて

転ばないように

バランスをとることを覚え

歩けるようになったように

 

物事に対して

何度も何度も繰り返して

自分の内外で調整ができるようになり

身体と心の調和に繋がっていく。

 

奥深くまで作用しているものであれば

表面のものから

徐々に徐々に奥のものに

対応していき

より深いものに対して

対応できるようになっていく。

 

無意識領域まであるものは

意識化になるまで

時間がかかるものもある。

 

ああ、また同じことを・・・

それを癒せていない

クリアにできていない私って・・・

 

と嘆くよりも

また同じことをしていると

自覚することができるようになったことや

同じようで同じものではないことに

氣づくことを選ぶほうが

次に進める。

 

痛みを感じるのであれば

その痛みをただ感じきると

その後が楽になったり。

 

痛みに対して

感じたくない

なくしたい

と抵抗するほうが

いつまでも蓋をし続けて

それを否定することとなり

ずっと蓋をすることに

労力を使い続けることになる。

 

それよりも

ずっと続くものではなく

一時の痛みを受け入れて

感じきって

そこから解放されるほうが

本当に使いたい方向へ

向かいたい方向へ

蓋で使っていた労力エネルギーを

使うことができるようになる。

 

お話する人によって

上記の内容をどれだけお伝えするか

違いはありますが・・・

 

そんなことをお話しする機会が

ちょこちょこあることに氣づきました。

 

人と比べて

できていないと思うところ

足りていないと思うところ

 

それらに意識を向け続け

できない自分を責めるよりも

 

過去の自分と 今を比べて

 

「ああ、本当によく乗り越えてきたね。」と

 

ご自身に素直に伝えられる人が

増えていかれますように。

 

 

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逢いたい人に会いに♪

昨日は天神に

逢いたい人に会いに行ってきました。

 

 

地下鉄に乗る前に

博多駅前のイルミネーションを

ちょっとだけ堪能♪

 

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地下鉄では・・・

初めての混雑時での状態に

ただただ驚くばかり。

 

発車しますとアナウンスが流れても

ドアが閉まりかけていても

少しの隙間があれば

乗り込む人が多くて。

 

早く帰りたい

時間が迫っている

そんなところなのかなあと

思いながらみていました。

 

次の電車まで待って

前電車よりも混雑はしていないことに

ありがたさを感じていたら・・・

 

次の駅で同じようなことが。

 

すっと乗り込んでくる。

しかも

押し込み力強しー☆

 

おおー!

都会は違う!

 

と驚きつつ

無事に天神で降りることができ

ホッと一安心。

 

懇親会会場に着く!と

意識の中で決めて向かうと

私にしては比較的スムースに到着。

 

意識の中で決めてなかったら

アンテナがパラボラ状態になり

様々な情報を拾って

あちらこちらを彷徨うことを

ずっと体験してきたので

目的地には意識の中で決めて向かう

ということをしています。

 

私という感覚人間の取り扱い方の一つ。

 

逢いたかった人は

松丸政道さん。

 

本日開催されているセミナーのために

www.facebook.com

来福されての懇親会に参加してきました。

 

政道さんと斜め向かいの席となって

たくさん、お話をすることができました。

嬉しかったなあ(*^^*)

 

政道さんとのご縁は何年前かな。

スピコンでお顔は知っていたのだけれど

随分経ってからセッションをお願いしてから。

 

あの時は

見えない存在の要望に応えなければならない

という思い込みで動いた結果

身も心も疲弊して経済的にも追い詰められ

どうしていいかわからない状態だったなあ。

 

と時々思い出すんです。

 

政道さんが

「ここままじゃあ、久美子さんは壊れますよ。」

と言葉にされた途端

ツーっと涙が流れた記憶があります。

 

たくさんの宇宙存在が

私の周りを取り囲んでいたとのことでした。

 

その時にいただいたアドバイス

随分と楽になり

今の私に繋がっています。

 

政道さんはスピリチュアルなところだけではなく

現実での部分でのセッションもされています。

 

今は『隙間塾』状態ですよと

笑いながら話をしてくださいました。

 

両極の狭間にいる人に対して

サポートをされてあるんだなあと思いました。

 

来年の8月まで

予定がぎっしりと入っているんですって。

 

そしてサプライズなことが!

 

政道さんだけかと思っていたら

思いがけず神崎さん登場ー!

 

しかも隣席となって

お話を聴くことの流れに。

 

神崎さんは、以前都市計画のお仕事に

関わっていらして

その後、コーチングとご縁が繋がり

個々に合ったコーチングをされることとなり

今『才能コーチング研究所』の代表をされている

と教えてくださいました。

 

個々によって性質は違い

同じ人であっても状況が変わると

対応を違えることが大切と

5人の子育てや看護師として

患者さんに対応してきた中で

思うようになりましたが

まさにそれだなあと

お話をお聴きしていて思いました。

 

マニュアル道理の対応を

全員にしたとしても

人はそれぞれに違うので

上手くいくわけはありません。

 

その人の才能を引き出すことで

その人自身が輝き出すことを

サポートされるものだなあと

思いました。

 

もてるツールがあれば

そのツールをどのようにしたら

有効活用できるか等の対応も

しているとお話されていました。

 

例えば

スプーンとフォークというツール。

 

スパゲティをスプーンで食べたらどうでしょう?

フォークのほうが、すんなり食べられますよね。

 

カレーをフォークで食べたら?

スプーンのほうが食べやすいですよね。

 

一つのツールを何でも使うということは

全部をスプーンで食べようとすることと

同じことなんです。

 

とわかりやすく話をしてくださいました。

 

確かに!

 

としか言いようがない。

 

もう一つお話してくださったこと。

 

 

提供側が

自分の思い通りに相手をしようとすると

相手は一時はよい状況になっても

長く続けることはできないんです。

 

自分からのものではないから。

 

そのお話から

過去体験してきたことを

思い出していました。

 

 

提供者側が、思う幸せや豊かさと

その人の本来の幸せや豊かさは

違うということ。

 

同じ言葉を使っても

何をどう感じるかは

人それぞれ違いますから。

 

私に懇親会のことを教えてくれた

マヤさんにも久々逢えて話すこともでき

とても楽しい時を過ごすことができました♪

 

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帰る前に

政道さんと神崎さんとも♪

 

 

 

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ちょと緊張してました(笑)

 

 

ここ数日引っかかっていたこと。

先日とある投稿で

 

相手に謝ってくださいと伝えたら

謝りますという言葉が返ってきたと

書かれていたことを読んで

そこからずっと引っかかっていることを

私自身の整理もかねて

ここに書いてみようと思い

書いています。

 

短い文章の中から

どういう経緯でそうなったかは

全然わからないので・・・

これは私の中で展開されていることを

前提として読んでください。

 

相手に謝ることを要求して

相手がそれに応えたら

本当にそれでいいのかな

ということが

一番引っかかっていて。

 

それは私からは

傷ついた本人

困った本人

本人のもろもろが正しいと

相手に証明してほしいと

要求しているようにも思える。

 

傷ついたこと

困ったこと

 

そのことを相手に素直に

伝えられたかどうか。

 

相手がそれらを受け入れる

状態にあるかどうか。

 

相手との関係性がどうであるか・・・

それが

一番ここがひっかかってもいて。


相手が

傷ついたこと

困ったことを

受け入れたとしたら・・・

 

相手から

謝っていたと思うのです。

 

ただ・・・

夫婦間だったら

長年のあれこれもあって

なかなか謝ることに

繋がらないことは

実生活の中で実感しているけれど。

 

○○さんだから

わかってくれると思ったのに!

 

○○さんはこういう人だから

わかってくれないとは思ってたけれど

やっぱりそうじゃない!

 

等々・・・

無意識で思っていることもあったりする。

 

そこから

どうせ私なんて

わかってもらえない!

 

ということにも繋がりやすい。

 

自分のことを

わかってくれるかどうか

無意識に相手を試しているとも。

 

この解釈は

私が過去にやってきたことから

展開されていった思考の部分。

 

どうせ私なんて・・・

 

という思い込みが

引き寄せていたことを

思い出しながら

思考で展開されていることを

書いているなあと実感中。

 

傷ついたこと

困ったこと

 

それらを

本当にわかってほしいのは

受け入れて欲しいのは

私自身だったとわかるまで

よくやっていたし

今もやっていることに

氣づくこと多々。

 

人は、自分が体験してきたことから

物事を判断することが多い。

だから同じ言葉を使っても

その解釈は人によって様々。

 

そのことがわからず

みんな一緒だと

思い込んでいた頃に

 

解釈の違いで

人の地雷を踏み

傷ついたり

腹を立てたり

もろもろやってきたことも

思い出しながら

書いてみました。

 

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日常生活の中で振り返ってます。

じんわりと幸せを感じたり
へこんだり
え?!こうきますか!???の流れに
驚いたり納得したり。

 

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いろいろとありながら
平凡とも思える日常生活を過ごしています。

 

 

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昔は頭でイメージしていた
すごい人生を求めていたけれど

 


頭でイメージしていたものは
本来の私が求めていたものではないと
わかってから日常生活の中の豊かさに
氣づくことができました。

 

 

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今までのことを振り返っても
周りの人たちを見ていても
みんなすごい人生を送っているなあと
今朝はふっと浮かんで。

 

 

周りと比べたり
すごいと思える人と比べたりして

それと比べると私なんて・・・

と思えるけれど

 


自分で乗り越えてきたことは
自分にとって当たり前であり過ぎて
氣がついていないだけ。

 

 

周りがすごいと思えるのは
第三者からみるからそう思えるだけで
自分の人生を第三者の視点からみてみて

 

 

ここ数年の間に
会話の中やセッション等で
何人もの人に伝えていたことを思い出す。

 

 

 

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そんなことを伝えながら
実は私自身がそこを受け入れてなかったことを

自覚する流れになって。

 

 

否定されることを
受け入れることは慣れていたけれど

 

 

認められたことを
受け入れることには全然不得手な状態。

 

だから周りに
素晴らしいなあと感じても
それをご本人が認められない人たちを
引き寄せていたのか!?

 

 

これを書いていて氣づく(笑)

 

本当にねえ。

 

 

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みなさん、上記の写真のように

とても素晴らしい輝くものを

秘めているのに
そこに氣づいていない・・・

というか認めない。

 

 

私が感じていることを
伝え続けていても
???となる人多発(笑)

 

 

当たり前過ぎて
自覚できていらっしゃらない。

 

 

自覚できないくらい
自然にできているともいえるのだけれど。

 

そんなことを考えると
私自身のことも含めて
人間って面白いなあと思う。

 

 

昔は
『なんでこんなに素晴らしいものを持っているのに
 氣づかないの!
 勿体無いじゃないですか!』
って、無自覚で腹を立てていたんだよね。

 

 

無自覚で腹を立てているから
性質が悪い(笑)

 

 

『なぜ伝えても上手くいかないんだ!?』
『しかもなぜそんなに腹が立つんだ!?』
と相手も自分も責める責める(笑)

 

 

当然、上手くいくはずがない(笑)

 

 

そこに氣づくプロセスだったと
今はわかるんだけれど
そこに至るまでの人生は
めっちゃつらかった!

 

 

めっちゃつたかったという
記憶はあるけれど
どんな風につらかったかは
ほとんど思い出せない状態になっている。

 

 

あれ?
そういえば???

という感じ。

 

 

今、つらい状況にあっても
そこから氣づけるものがあるチャンス。

 

 

そこから氣づき続けている人たちが
様々な形で飛躍されてきていることを
ここ十年でみせてもらっています。 

 

 

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写真は、杉田廣貴さん。

手にとっていらっしゃるのは

私に書いてもらった言の葉。

 

彼の飛躍は

出会った時に想像できなかった。

 

 

想像できなかったけれど

内に秘めた光を感じていたことは

確かだったと思う人のお一人なのです。

 

 

1/15(水)今日のKOTOBA

朝にふっと浮かんだ言葉をブログに書き

そこから感じたことを綴っています。

 

何も浮かぶことがなかった時は

書けませんので

アップされてなかった時は

言葉が浮かばなかったんだなあと

思ってください。

 

・・・

 

今日の目覚め時に浮かんだKOTOBAは

『足りない自分・できない自分を認めてゆるす。』

 

・・・

 

 

 

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昨日のこと。

 

浪人生である次男と母の

会話でのやりとりに

幼い頃の私と母のことを

思い出していました。

 

できない

足りない

もっともっと・・・

 

次男は高校生時に物理が苦手で

テストの度に追試を受け

なんとか進級する状態。

 

どうしても理解できないと

ずっと悩んでいたのですが 

予備校に通い出し

いい先生とのご縁もあり

先日の模試で85点を取るまでに。

 

次男「おばちゃん!

   物理のテストで85点取れたよ!」

 

母「物理が85点取れとるんやから

  別のできてないのを

  がんばってそのくらい取らんと!」

 

私「徐々に成績が上がってきて

  苦手だった物理がそこまで

  取れるようになったもんね。」

 

 母(間髪を入れず)

「あんたのお母さんは

 そんなことを言うけれど

 もっとがんばって

 できるようにならんと!」

 

ああ、やっぱり母だなあと思いました。

 

私は小中学校は勉強嫌いで

テスト等散々な状態が当たり前。

 

小学生の時に何かのきっかけで

がんばってみようと勉強し

漢字テストで65点という

私にとっては快挙といえる

点数をとったので

母に喜びながら見せると・・・

 

「ちょっとがんばったら取れるんやから

 もっとがんばって100点をとらんと!」

 

小学生だった私は母が一緒に

喜んでくれるものだと思っていたの

でショックを受け・・・

 

100点なんか無理!

私にはできない!

勉強なんかもうしない!

と思った記憶があります。

 

母は励ましのつもりであったことは

今はわかるのですが

幼い私にはそうは受け取れず。 

 

勉強だけでなく万事がその状態で

何かの結果に対して

他の何かと比べられ

「もっともっと」

と急かされていました。

 

いつの頃からか

 

こんな私じゃいけない

こんな状態じゃいけない

もっともっと

 

と無意識に思うようになり

私自身を否定しながら

生きていました。

 

人に認められるようなことがあっても

私自身を否定していますので

そんな認められるような人間ではない

本当は認めてないんでしょ!と

やっていたなあと今は思います。

 

そこに氣づいてなかった頃は

常に孤独を感じ

心に寂しさを抱えて

生きていました。

 

だれも私のことを認めてくれない。

私の全てを認め受け入れてくれる人が

どこかにいるはずだと探し求めてみたり

こんな私でも認め受け入れてくれるの?!と

人を試すことをし続けたり。

 

そのお陰で

どんな結果を出したとしても

もっともっと!

まだまだ!

とやっていたら

その時に精一杯やった結果に対して

足りない・できない

と思えるところを探し出し

足りた・できた

ところは見得ない状態になりやすいと

腑に落とすことになりました。

 

足りない・できない自分を

いつも見ていて

もっともっとと

自分自身に発破をかけて

氣を休める暇も与えない。

 

がんばり続けないといけないと

常に緊張した状態で

身体もガチガチ・・・ 

本当にガチガチでした。

 

全てが完璧な人なんていないのに

全てが完璧である私を

私自身に求めていました。

 

そこに氣づいてから

随分と楽になりました。

 

足りない私

できない私

 

そんな私もいい。

 

足りない時は

足りないことを認め

できない時は

できないことを認めて

 

そこからできることを選ぶ。

 

足りた時は

足りたことを認め

できた時は

できたことを認めて

 

足りなかったこと

できなかったことは

次に活かすことに繋げる。

 

それでいいんだと思うのです。

 

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